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2012年1月

2012年1月31日 (火)

身内の他人

東北新人大会が約10日後に迫った休日。電器屋さんからテレビとブルーレイレコーダーが届いた。次男用だった。Img_0207

地デジに切り替わってからというもの、テレビは居間で観るか、自分の携帯のワンセグで観るかを強いられていた次男。居間にいる時間ができて好都合だと思っていた私とは裏腹に、次男が自分の部屋にテレビを欲しがっていたことは知っていた。

ずーと我慢させていたけれど、「俺もお年玉出すから、ちょっと応援してほしい」という次男の言葉に、奥さんが賛同したために買うはめになったのだった。

「また、自分の部屋にいる時間が増える」とは思ったけれど、「自分の思うように、試合を振り返ったりするのには必要かなぁ」という思いと、「せっかく居間に下りてきても、奥さんが好きな旅番組に付き合わされるのも気の毒だしなぁ」という気持ちもあり、1週間ほど前に次男と電器屋に行って購入を決めていた。当然、値切り役の奥さんも伴なって・・・。

電器屋さんでの奥さんは、正直凄かった。

「いつもオタクから買ってるんだから安くして~」

「テレビとビデオ(本人はブルーレイレコーダーのつもり)を一緒に買うんだから、もう少しまけてー」

「キリが悪いから、この何千円かをカットしてー」

「取付代はタダにならないの?」

頼もしいけれど、交渉が進むにつれて、一歩二歩と後ずさりする私と次男。徐々に他人になりたかった私達だった・・・。

それでも、その甲斐あって予想以上に安い買い物ができた次男と奥さんは満足そう。帰路の奥さんは、無意識のうちにも、超どや顔。心強くもあり、恐ろしくもあった私。

この人には死ぬまで勝てそうもないかも・・・、そう思った睦月の休日tv

2012年1月29日 (日)

時間差攻撃

新しい年に入って、間もなく1か月になろうとしていたけれど、年明けに届いた悲報がどうしても忘れられず、生前の感謝を込めて書き記すことにした。

1972年(昭和47年)に開かれたミュンヘン五輪で、全日本男子バレーボールチームが金メダル獲得した時に監督を務めていた松平康隆氏が逝去したことだった。81歳だった。年末から年始にかけて、花園大会と雪掻きの疲れに襲われていた私は、その悲報を聞き、少なからずショックに襲われた。

金メダルを獲得した当時を知る人、バレーボールに縁のある人なら、誰でも知っている「ミスターバレーボール」だった。

今さらその功績には詳しくは触れないけれど、ソ連(当時)や東ドイツ(当時)など世界のトップより体格で劣る日本チームに金メダルをもたらすため、独自の強化方法を取り入れたほか、時間差攻撃やクイック攻撃をはじめとする多彩な戦術を生み出し、ミュンヘン五輪で遂に悲願の金メダル獲得に導いた立役者だった。

そして、ミュンヘン五輪が開催される1972年には、『ミュンヘンへの道』というアニメと実写を組み合わせたテレビ番組を企画、放送し、男子バレーボールの人気を盛り上げた名プロデューサーとも言えた。実際に番組のタイトルどおりに金メダルを獲得してしまったのだから、痛快だった。

放送当時の私は小学校6年生。当時から背が高かったこともあり、毎週のように『ミュンヘンへの道』を観ては、翌日の学校で「昨日の攻撃をやってみようぜ」と悪友達とバレーボールに没頭していた。今の次男のように・・・。

そして、ミュンヘン五輪ではブルガリアに絶体絶命のピンチに立たされながらも大逆転勝利を収め、決勝戦で金メダルを獲得した瞬間、思わず泣けた。スポーツをして、スポーツを観て感動し、熱くなりやすい性格はその頃に形成されていた私だった。

不幸にも、私が通った中学も高校も男子バレーボール部がなかったため、部活動としてバレーボールに関わる機会はなかったけれど、球技ではラグビーの次に愛着を感じる競技だった。

当然、『ミュンヘンへの道』の主題歌レコードは、当時、擦り減るほど聞いていた私。『栄光の架け橋』の30年以上前の曲だけれど、今でも時々、鼻歌で口ずさんでは、一人熱くなっている私でもあった。

ミュンヘンへの道  (阿久悠作詞)

何かに燃やすのが若い命 何かにかけるのが一度の青春さ
コートの中には涙もあるけど それは胸に染み込む熱い涙
覚えておくがいいよ 一途に燃えた日々
覚えておくがいいよ ニ度とない日を
火のようなスパイクに体をぶつけ 飛び散る汗にさえ生きてる輝きが

全てがミュンヘンへ続く道 全てが栄光につながる道なのさ
コートをころがる若者6人 誰の胸の中にも明日の希望
覚えておくがいいよ 一途に燃えた日々
覚えておくがいいよ ニ度とない日を
あいつの上げたトスたたく時に 心が通い合う何も言わなくて

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逝去されてから一か月。この時期のUPになってしまったけれど、私からの時間差攻撃で松平康隆さんのご冥福と、全日本チームの今後の活躍を願う睦月の夜basketball

2012年1月28日 (土)

理解不能

木曜から金曜にかけての1泊2日のスキー教室を終えた次男から、「今、部活終わった。スキーで足が痛いから迎えに来れる?」と着信メール。

ぎぇー、大会前にまたまた足の怪我か・・・。「スキーで怪我したのか?今から行く!」と返信すると、「いや、疲れただけ。また何人か便乗するけど、よろしく」と再び次男から返信が・・・。正直なところ、ホッ(+_+)・・・。

学校に着くと、生徒玄関には次男と3人のチームメイト。Y君「すみません、お願いします」。T君「よろしくお願いしまーす」。D君「またお願いします」。皆、礼儀正しかった。次男「今日は以上ということで、ヨロシク」。私「はいっ、かしこまりましたぁ。夜間割増なしで運行させていただきます」。

以前も触れたけれど、ラグビー部員仲間を同乗させると、愛車がググッと沈み込むのが分かる。私「雪道では安定感が大切だから、みんなが乗ってくれると助かるわー」。Y君「俺が一番貢献してるかも(笑)」。D君「俺も体重は増えてるしぃ」。頼もしく、愉快な仲間達だった。

一人ずつ無事に降ろして帰宅。次男「ほいっ、これ」。スキー教室で使用したゴーグル、キャップ、グローブだった。Img_0208

私「明日から雪掻きに使おっかなー」。奥さん「駄目駄目、もったいない」。私「だって、もうスキーもしないだろう」。奥さん「雪掻きの時は、今使ってる手袋と帽子でたくさん」

楽しく雪掻きできるほうが、能率上がるのにぃ・・・。この豪雪の時に使わないで、何時、誰が何のために使うと言うのか・・・。奥さんのセコさが理解不能な睦月の夜ski

2012年1月26日 (木)

一難去って・・・

先週の快晴続きが嘘のような寒波続き。それも大寒波・・・。首都圏でも積雪に見舞われていることは承知していたけれど、正直なところ、同情する余裕もなく、連日雪掻きとの格闘を余儀なくされていた。

昨年までは、ほぼ連日更新できていたブログだったけれど、自身の疲労回復を最優先していたため、UPしたいことは山ほどあったけれど、休養と睡眠に明け暮れていた。

そんな更新頻度が低下したブログにも関わらず、コメントを残して下さった方々には「あざ~す」だった。年末のように、コメントを拝見する暇もないような事態は避けたいとの思いがあったことも手伝い、懇親頻度は下がっても、コメントはありがたく拝読させていただいていた昨今だった。

もういい加減にしてもらいたいほどの連日の積雪が続いている中で、次男は学校のスキー教室があるため、1泊2日の日程でスキー場へと本日出掛けて行った。いつものように、昨夜は直前になって、「スキーウェアはある?」「ゴーグルや手袋は?」・・・。もっと前から準備しろっ!

結局、私が使用していたウェアもゴーグルも探すことができず、スキー場のレンタルで間に合わせることに・・・。無駄なお金を使いやがって。計画的に準備すれば、いいものを・・・。花園に行って金欠病なんだから、少しは節約を心掛けてほしかった。全く、一難去って、また一難だった。

今朝の登校時に、私「行ってらっしゃい。気を付けてな」。次男「うぃ」。私「スキ―場では、はぐれると死ぬぞ。それと、大会前だから、骨折するなよ」。次男「うぃ」。どこまで通じているのだか・・・。

この日も終日の降雪で、帰宅後も奥さんと二人で雪掻き・・・。雪掻きを手伝ってほしかった次男は不在・・・。一難去って、次男も去った睦月の夜snow

2012年1月22日 (日)

緩和

幸いにも、ここ数日は積雪も殆どなく、気温も0℃以上に上昇していた津軽。少しずつではあったけれど、主要幹線道路からは雪も減りつつあったので、出掛けるには好都合の日曜日だった。Img_0203

まして、明日から再び大寒波が来襲すると天気予報が叫んでいた。今日しか出掛けられないと思うと、嫌々行っていた掃除もさっさと済ませて出掛けることにした私だった。

行き先など何処でも良かった。兎に角、厳寒の晴れ間のうちに、何処かに出掛けられれば、それで良かった。連日、雪掻きに追われていた事を思うと、行き先など問題ではなかった。

奥さんの希望を聞いて大型ショッピングセンターを2軒ほどハシゴをした後、次男の希望で電器屋に行き、最後は私の希望で温泉へと順に愛車を走らせた。

ズ―とい行きかったけれど、行けないでいた温泉。実は、今年に入ってから首から左手まで広範囲にわたって痛みが続いていた。雪掻きによる障害なのか、単なる歳のせいなのか、とにかく首、肩、腕、手の甲と左側半分の具合が今一つだった私。

温泉の効果は絶大だった。入浴中も入浴後も、それまでの痛みが嘘のように調子が良くなっていた。1度の入浴で良くなるなんて、単純な身体の私だった。

入浴中は、2月に行われる東北大会の話題で次男とズ―と語り合った私。これまでも次男と温泉に浸りながら今後の試合を展望したり、終わった試合を振り返ったりと、唯一、次男とゆっくり会話できる場所が温泉だったけれど、この日は今までないほど冗舌な次男だった。

今回の東北大会も厳しいトーナメントの中に身を置くことになったたため、他県の強豪校に勝利できるのだろうかという不安が少なからずあることは明白だった。特に上級生が抜け、自分達だけで東北大会を戦うということを明らかに重圧として感じている様子の次男。

その不安を拭い去ることができるよう、自信を持たせる必要を感じたため、ネガティブな話は少なめにして、ポジティブ志向とした私。それでも、不安を100%払拭できたとは思えないため、大会までの2週間は出来るだけ温泉に行って、不安を緩和してやろうと思いつつ、自分の痛みを緩和させる機会も増やさなきゃと感じた睦月の休日spa

2012年1月18日 (水)

13日の金曜日②

前回から数日経過してしまったけれど、前回に「13日の金曜日①」としてしまった手前、「13日の金曜日②」をUPしないわけにはいかなかった。

13日の仕事の終わりかけた夜。奥さんから「体調悪いから、早退して寝てるから。夕飯のオカズを適当に買ってきてちょうだい」とメール。

積雪で電車が停まったため、次男を高校に迎えに行った後、近所のスーパーへおかずを調達に行った私。何を買ったらいいのか分からないので、スーパーの中をウロウロ・・・。鮮魚コーナーの前にはマグロのお刺身があったけれど、高いのか安いのかよく分からない私。それでも「奥さん、マグロの刺身なら嫌いじゃないないよなぁ」と思い、カゴの中に1パック(1柵)を放り込むとともに、何品か惣菜を買って帰宅の途に。

奥さんは寝室でまだ寝ているらしく、久々に夕飯の支度をした私。支度といっても、惣菜をパックから皿に移したり、ご飯を温め直したりしただけだったけど・・・。

それでも、買ってきたマグロをそのままデーンと柵のまま出すわけにもいかず、出刃包丁で切る、切る、切る・・・。そしてなんとか切り終えた。ホッ。

皿に盛り付けた。刺身のツマは買い忘れた。白い皿に、赤いマグロだけ。コントラストがビミョー。まぁ、いいさ。切れたんだから。Dscf0537

「飯できたぞー」と奥さんを起こすと、寝室から奥さんがいかにも「具合が悪いぞー」という雰囲気を漂わせながら、居間に下りてきた。

奥さん「あらっ、番ご飯の支度もしてくれたの」。私「おぉ」。奥さん「マグロ美味しそう。じゃあ、食べよっか」。一同「いただきまーす」。

5秒後。次男「マグロ、薄っ!」。私「一生懸命、俺が切った」。奥さん「刺身コンニャクみたい(笑)」。私「笑うな」。奥さん「これじゃあ、刺身コンニャクじゃなくて、コンニャク刺身ね」。目の前で、コンニャク刺身をブラブラされた私・・・。

「しばらくマグロとは仲良くなれそうにないな」と思った睦月の13日の夕飯時riceball

2012年1月14日 (土)

13日の金曜日①

13日から3学期が始まった次男。冬休み中も連日学校で部活に励んでいたこともあって、特に億劫な様子もなく、いつもどおりに学校へ出掛けていった。勉強しないことも、いつも通りだと思われた。

その始業式の夜、次男から「積雪で電車が止まった。学校に迎えに来られない?DとYも一緒なんだけど」とメール。ちょうど帰宅したばかりだったので、「了解。何人でもいいぞ。今から行く」と返信し、学校へ。

D君「すみません」。Y君「お願いしまーす」。皆、礼儀正しかった。私「後は誰も残っていないか?」次男「うぃ」。まぁ、いい・・・。

ポジションはD君がプロップ、Y君はフッカー。次男と一緒にフォワードを組んで、スクラムを押す仲間中の仲間だった。当然、身体も大きく、体重もあるため、愛車がズシッと安定し、雪道走行には持って来いの搭乗者だった。万が一、雪道でスリップしても、この3人が押しててくれれば抜け出せそうな力持ちだった(笑)

一人、二人と降ろして、自宅に着くと、次男「明日、早朝に送ってちょうだい。雪のない○○グラウンドに行くことになったから」。私「おぉ、そうか。了解。筋トレばかりだと、試合勘が鈍るし、ボールをつなぐ練習もしないとなぁ」。次男「うぃ」。

次男達は昨年、2年生全員で丸刈りにして臨んだ県大会で優勝したため、来月に福島県で開催される東北大会に出場することになっていた。

その東北大会に向けて、最近は特に練習が厳しさを増している様子だった。帰宅して夕食を摂り、入浴して2階に上がると、居間には下りてくることもなく、そのまま眠り込んでいる夜が続いていた。相当な疲労だと思われた。Img_0115

土や芝生のグラウンドで練習できないハンデを克服するのは困難だけれど、今できることは全部取り組んでほしかった。しかし、大事な大会が近付くと、なぜか骨折や怪我が付いて回る次男。せめて、今年1年間だけは、大過なく大会に臨んでほしいと思う睦月の13日の金曜日sagittarius

2012年1月12日 (木)

それほどでも

朝、暖気運転をしておこうと一歩外に出ると、「むむむっ、また20㎝ほど積もったかぁ」。

疲れた身体にムチ打って、昨夜も雪掻きした私をあざ笑うかのような積雪。この時期は想定内の出来事だったけれど、この日は今冬で最も冷え込みが厳しく、氷点下10℃以下に冷え込んだ朝だった。大阪に帰りたい・・・。Dscf0536

寒いから、雪が降ったからといって休めるはずもなく、出社。何とか仕事を片付けて、帰宅の時間になったけれど、帰宅する足取りがやや重めの私。「帰宅して、また雪掻きかぁ」という理由にほかならなかった。

予想通り、今夜も雪掻きを必要としていたが、私よりも先に部活から帰宅していた次男が一人でせっせと雪掻きをしてくれていた。

私「おー、サンキュー。俺も今からやるから」。次男「うぃ」。私「雪掻きも考えようによっては、体力づくりにもなるだろ(笑)」。次男「普段から体力づくりは十分やってるから」。

さすがに次男が雪掻きを手伝ってくれると作業がはかどった。私「今夜はもういいよ、サンキュー」。次男「うん」。

家の中に入って、次男をよーく見るとヘアースタイルが・・・。『ソフトモヒカン』というやつだろうか。私「あらっ、床屋に行った?」。次男「うん、さっき行ってきた」。

昨年11月の大会前に丸刈りにし、ようやく伸びてきた次男の髪の毛。もう二度と丸刈りにすることもなく、今後は再び伸ばし始めるのだろうとばかり思っていた私にとっては意外・・・。

私「これからは、それでいくのかぁ?」。次男「分からん。とりあえず今回はコレでいく」。私「再び短くなって、寒くないかぁ?」。次男「いや、それほどでも」。

ただただ、若さが羨ましいと思った睦月の寒かった日snow

2012年1月11日 (水)

自信

花園の話題を引っ張っているつもりは毛頭なかったけれど、年が明けようと、誰が何と言おうと、未だに心の中の大半を占める出来事だった花園大会・・・。

先日触れたように、次男は某有名ラクビーショップから買ったTシャツやシューズを自分のお土産にしていた(一部、自分以外の物もあったようだったけれど・・・)。

一方、私はというと、福沢諭吉と仲良くなれない性格が災いし、軍資金が心細かったこともあり、特に思い出に残るようなお土産を買うこともなく、自分で撮影した写真と、自分の記憶をお土産にしようとしていた。どう考えても、私の記憶ほど危ういものはなかったけれど・・・。

来年の大会の事は考えまい、そう思って花園に乗り込んだ私だったけれど、「来年も花園に絶対に来るっ!だから今年は買わないっ!」という、得意の『根拠のない自信』も、お土産を買わない動機の一つだった。

そんな私も1個だけ買い求めたものがあった。次男のジャージをデザインした、ちっぽけなファスナーヘッドだった。「第91回って、今回しかないもんなぁ」という単純な理由だった。Img_0197

次男が大人になって、花園の話題で酒を飲み交わすようになった時、写真とともにプレゼントしよっかなぁ、そんな思いもあった。

けれども、そこに根本的な課題が存在していることに気付いてしまった私。「その時までに私自信がファスナーヘッドを買っておいた忘れてしまわないだろうか・・・」。そんな不安が頭をよぎっている、睦月の自信のない夜run

2012年1月10日 (火)

ラグビー姫?

全国高校ラグビーが閉幕し、大学選手権も終了していた。降雪も少なかったこの日は、トップリーグ(日本のラグビーの最高峰リーグ)の試合を4試合ほどテレビ観戦しつつ、「今季のラグビーシーズンも大詰めの段階になったかぁ・・・」と柄にもなく感慨深く思っていた。

連日の花園ネタではあるのだけれど、次男が自分のために花園から勝ってきたものがあった。自分達が出場した第91回大会の出場高校名とトーナメント表がプリントアウトされたTシャツ。うんうん、俺もそれを買おうかどうか迷ったもんなぁ。分かる分かる、想定内の買い物だ・・・。Img_0188 Img_0189

そして、2枚目。Img_0190

ん?そのTシャツも以前から知ってるけど、お父上の事はどうした?お前にあんだけ投資して、今や凍死しそうな私への感謝は?まぁ、いい。親爺はそんな文字には右往左往しないのだ。

3枚目。それも有名ラクビーショップのオリジナルTシャツだった。まぁ、分かりやすくていいだろう。Img_0187

さらに、もう1枚。「今度は俺向けかぁ(笑)」と思ったら、『ラグビー姫♡』・・・。そのTシャツの存在も知っていたけど、自分では着ないだろー。Img_0191_2

そう言えば、一緒に花園へ応援に行った父兄仲間のママさんが「〇〇君(次男)は彼女がいるみたいで、いいわねぇ。ウチの息子は全然」。私「まさかぁ、あいつがぁ?何かの間違いでしょ(笑)ははは~」・・・。そんな会話をした記憶はあったけど・・・。

「ラグビー姫」って誰だぁ。誰にプレゼントするんだろっ。

次男に本当にそんな彼女がいるとは信じられないけれど、家政婦のミタさんにお願いして、どんなお嬢さんか調べたてもらいたくなった睦月の夜t-shirt

2012年1月 8日 (日)

受け継ぐ魂

第91回全国高校ラグビーが昨日、決勝戦を迎え、幕を閉じた。この大会に出場できた次男達チーム。応援する機会に恵まれた私達。

花園という聖地で勝つことの喜び、そして負けた悔しさ・・・。その両方を息子達も父兄達も共有することができ、この上ない思い出となった年末だった。

次男にラグビーを勧めた責任があった。最大の目標として掲げていた花園という聖地に立つことも大切だったが、出場に向けて毎年毎年積み重ねてきた過程もまた次男にとっては大切だった。年末から年始にかけて、そんなことをずーと考えていた私だった。

新しい年を迎え、1月4日から次男達の練習が再び始まった。約1年後に再び花園で試合することを目指し、汗と血と涙を流す日々がスタートしたのだった。けれども、次男達を花園に連れて行ってくれた、強靭な3年生達の姿は年明けの練習には既になかった。

今度は、次男達「マルガリーターズ」が先頭に立って下級生を牽引していかなければならなかった。無論、そのことを肝に銘じて次男達も練習に明け暮れているのだろうけれど、今春入部してくる1年生達も含めて、チームを花園へと導いてほしい、そう願わずにはいられない年明けでもあった。

「隙間の世代」と思われがちな次男達の1年間の奮闘を祈りつつ、今日も雪掻きでへとへとになっていた私。それでも、「あいつらはもっとキツイ練習をしているんだろうなぁ。まぁ、俺の場合は雪にタックルされることもないし、まだマシかぁ・・・」と思い込むようにして、しかたなく雪掻きに明け暮れていた私だった。

花園から元旦に帰宅した次男が、そのカバンにヘッドギアを2個ぶら下げて帰宅した。1個は私が買ったもの。もう1個は見慣れないヘッドギアだった。Img_0185

私「そのヘッドギア、どうした?」。次男「○○先輩からもらった」。擦り減って、元々の色が分からないくらいに使い込んだものだった。

公式試合ではチームでお揃いのヘッドギアを被るため、先輩のヘッドギアは試合では着用できないけれど、先輩の思いと魂は大切に受け取った次男。

私「いいものをもらったな」。次男「うぃ」。

「苦しい試合の時こそ、そのヘッドギアを思い出せ」などという臭すぎるセリフは言わなかったけれど、先輩からもらったヘッドギアで精一杯練習し、花園出場という形で恩返ししろと願った睦月の夜drama

追伸 先日のブログにUPしたラグビー弁当の中身について・・・。Img_0065

念のため食べる前に撮影していたのでUP。Img_0067

中央にとんかつ、周囲に椎茸やニンジン、そして私の嫌いなブロッコリー・・・。でも、試合直前だったこともあり「嫌いなブロッコリーを食べ残したお陰で負けたとあってはマズイ」と思い、無理やり飲み込んだ師走の試合直前でしたぁ。

2012年1月 7日 (土)

非情

新年を迎えて、ブログにUPしたいことは多々あった。いろんな出来事もあった。それでもブログの更新はしなかった。どうしようかと悩んだ末に、「今夜も止めとこっ・・・」の昨今だった。

プチ家出の疲れもどうにか癒え(財布の中身は癒えてなかったけれど)、子供達とも無事に正月を迎えられた。仕事も順調に再開し、テレビを観ると全国高校ラグビー大会が放映されていた。ほぼ快調に一年を滑り出したかのようにも思えたが、それでもブログの更新はできなかった。

連日の降雪で、身体的にも疲れていた。それ以上に、精神的に凹んでいた私だった。

また雪だ・・・」「今朝も積もってる・・・」「今夜も雪掻きしなきゃ・・・

毎年付き合っている雪だったけれど、年末に雪のない場所にプチ家出していたせいか、リバウンドに苦悩する日々だった。

12月に頂戴していたブログへのコメントも目を通し切れないでいた私。プチ家出中に頂いたコメントを拝見するに従って、「あら~、次男達を応援して下さってありがたいなぁ。でも、頂戴したコメントに対して年が明けた今頃になってコメントをお返しすることは間抜けだなぁ」と思った私。

コメントを下さった方々には感謝しつつ、去年頂戴したコメントには心の中で感謝の返信をさせて頂くことにした。身勝手な私だった・・・。

松の内のきょう7日。一年最初の1週間にも関わらず、嫌悪感は拭いきれないけれど、「今年も『前へ前へ』と進まなければ」と自分に言い聞かせ、非情な決断を強いることになった睦月の午後mist

追伸 コメントを下さった皆様にはお詫び、そして感謝!

2012年1月 3日 (火)

観戦

元日、きょう3日と家族全員で、高校ラグピーをテレビ観戦していた。去年までは私と次男だけで観戦していたのだけれど、今年は我が校が出場していたこともあって、奥さんも熱心な観戦ぶりだった。

奥さん「何処が優勝しそう?」。私「ここまでくれば、実力は紙一重」。奥さん「何処に応援してるの?」。次男「俺達に勝った京都成章に優勝してほしい」。奥さん「了解」。

奥さんまでが熱心に観戦するようになるとは・・・、さすが花園に行ってきただけのことはある。それでも、ときどき眠っていることを見逃さなかった私だった。

試合を観ながら、花園の様子を思い出していた私。会場となった近鉄花園ラグビー場は「高校ラグビーの聖地」と言われるだけに、何もかもが感動的だった。芝生の手入れ、大観衆を収容するスタンド。そして会場内に設営された数々のショップとお土産・記念グッズ。Img_0054_2 Img_0063 Img_0065 Img_0144 Img_0150 Img_0151 Img_0149

今回は花園初心者だったため、十分な楽しみ方も分からなかったけれど、今年も出場して、花園を堪能したいと改めて思いながら、再び試合に見入った私だった。

試合を見届けて、初詣に行った私達。願い事はそれぞれなのだろうけれど、3人とも「今年も花園大会に出場できますように!」と願ったことは疑う余地もなかった。

しかし、ジーンズがズリ下がっている次男は、ピンクの見せパンがチラリっ!Dscf0534

女の神様なら効果あるかもしれないけれど、「これってどうなんだろー。神様だってお前のパンツを観戦したくないだろうに・・・」と正月から不安になった睦月の初詣bell

2012年1月 2日 (月)

次男帰還

花園から帰宅した大晦日の朝、午後まで熟睡した。一年締め括りの日だったけれど、疲れ切っていた。正月を迎える準備を何もしていなかったので、疲れた身体を引きずって奥さんと買い物に出掛け私。

夕方に長男と長女の家族が集まりだし、9人で年越しとなった私。花園大会の話を聞かせながら宴会の開幕。疲れも残っていたせいか、少しのビールでも十分に効いた・・・。この場にはいなかった次男は、年が明けた今日の10時頃に帰青する予定になっていた。

すっかり酔いが回って、熟睡モードだった朝5時、微かに聞こえたのは我が家の電話が鳴る音だった。私「もしもし・・・」。

「あと30分で青森に着くから、迎えに来て」。次男の声だった。私「えっ、10時じゃないの?」。次男「早く着くらしい」。私「早過ぎ。とにかく分かった、今から行く」。

学校に着くと、次男達を乗せた大型バスが既に到着し、次々と荷物を下ろしていた。監督も選手も皆、元気に青森の地を踏んだことにまず安心しつつ、迎えに来ていた父兄仲間と、「昨日はどーもぉ」「意外と早い帰青だよねぇ」などと歓談。

荷物も降ろし終わると、漆黒の闇の中、生徒玄関の前で監督からの訓示。続いて、生徒達は円陣を組み、寒さにも負けず気勢を上げた。現チームでは最後の円陣になるのかと思うと感慨深かった。Dsc_0006

次男の帰宅時刻が予定よりも早かったお陰で、初日の出らしき風景も見られた私。帰宅し、少し早い朝食を摂り終えると、半月間におよぶ直前合宿と花園大会から解放された次男は夕方まで死んだように眠った。起こす必要もなかった。

一年の計は元旦・・・。今は、ひたすら身体を休めて、1年後にまた花園の地を踏もう、そう心の中で呼び掛け、眠り続ける次男に感謝した睦月の元旦fuji

追伸 旧年中はたいへんお世話になりました。平穏な一年となるよう願いつつ、今年も「前へ前へ」です。本年もよろしくお願いいたします。皆様のご多幸をお祈りいします。感謝!

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