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2012年3月

2012年3月25日 (日)

もう一つの戦友

次男の部活がらみの飲み会があった昨夜、父兄仲間に交じって楽しく過ごさせていただいた。参加された父母会の方々は、皆、花園へ応援に駆け付けたメンバーだった。次男にとってチームメイトが戦友なら、私にとっても父兄仲間は戦友のような感覚だった。特に、卒業した3年生の父兄の方々には、2年間親しくして頂いて、あざ~すだった。Img_0051

今後お逢いする機会は確実に減るのだろうけれど、この先も戦友として心に刻んでおきたいと思う人ばかりだった。そう思うと、終始楽しく飲ませていただいたけれど、正直、淋しさもあった・・・。Img_0050

「あ~、卒業って、生徒達だけじゃないんだなぁ。新年度も時々応援にきてくれないかなぁ」という思いも抱きつつ、まだ飲み続けていた私。飲み会の楽しさに比例するように、右肩上がりになった酒量。結論から言うと、だいぶ飲んだ。いつの間にか日付が代わり、気が付くと、監督と二人でタクシーで家路を目指していた。

監督「○○(次男)は、進路を決ましたか?」。私「はぁ、進学に気持ちが向いてくれたようです」。監督「あいつは、ラグビーをさらに2、3年続けたら、いい選手になるよ」。私「あはー、そうだといいんですけどぉ。まっ、学力が学力ですから、どっかに引っ掛かってくれれば~(笑)。先生(監督)、引き続き進路のほうもハッパかけてやって下さいm(_ _)m」。

そんな会話をしながら帰宅した記憶はあったけれど、その先の記憶は飛んでいた。そして迎えた今朝の二日酔いはヒドイものだった。楽しかった反動のツケは夕方にまで及んだ。

そんな私にお構いなく、次男は明日から神奈川へ3泊4日の遠征に行くことになっていた。某大学が主催する大会に出場するためだった。ちょうど1週間前に、東京で行われた東日本代表候補セレクション合宿から戻ってきたばかりだというのに、再び上京。次男達も忙しい年度末を過ごすことになっていた。Img_0048

二日酔いもどうにか乗り越えつつあった今夜、夕食が済むと、奥さん「試合、観に行くの?」。私「年度末だから超~忙しいし、今回だけは無理だろっ」。奥さん「じゃあ私だけ行こうかな」。私「はぁ?行くつもりなのか?で、俺は留守番?」。奥さん「私は休みも取れそうだし」。私「お金は?」。奥さん「私の分は何とかなると思う」。私「『私の分』って、じゃあ俺の分は?」。奥さん「どうせ、行けないんでしょ」。

それはそうだけど・・・。明日、出社したら、今週の予定を再確認しよっかなぁ・・・と悪あがきを試みようとしている弥生の二日酔いの夜wine

2012年3月23日 (金)

実はお願いが

先日、仕事中に携帯電話の着信が鳴った。ラグビー部父母会のS会長からだった。私「もしもし、○○(私)です。この前はどーもm(__)m」。S会長「実はお願いが・・・」。

要件を聞いてみると、土曜日に父母会とOB会による今年度の打ち上げ(飲み会)があるのだけれど、父母会側の人数不足で、私に参加してほしいという趣旨だった。父母会側からは、卒業した3年生の父母が出席するのが慣例らしかったけれど、年度末で参加人数が極端に少ないらしく、2年生の父兄なのに、私に参加要請が来たのだった。

私「あはは、俺?OB会に知ってる人も少ないしなぁ・・・」。S会長「私も参加しますし、Aさんも来てくれるみたいです。後は○○さん(私)が来てくれればOKです」。

頼まれると断れない意思の弱さと、父兄仲間と酒を酌み交わせる楽しみがMIXして、私「じゃあ、行きましょうかぁ」。S会長「そう言ってくれると思ってました」。私「あはは・・・」。

翌日の午前。今度は父母会のR副会長からの電話だった。私「もしもし、○○(私)です。この前はどーもm(__)m」。R副会長「実はお願いが・・・」。

要件を聞いてみると、新年度早々に父母会の総会があるのだけれど、私に副会長をやれという趣旨だった。R副会長が新年度は会長、私が副会長という段取りらしかった。

私「あはは、俺?大役過ぎて、任が重いです」。R副会長「私も同じ、同じ(笑)。○○さん(私)が副会長を受けてくれなきゃ、私も降ります」。

頼まれると断れない意思の弱さと、父兄仲間とこの先も仲良くやりながら選手達を応援したいという思いはこの日もMIXしていた・・・。MIXしていたけれど、こればかりは「じゃあ、やります」とは言えなかった。

しばらく電話で口説かれて、「じゃあ、大役ですけど、他に誰もいなかったらということで・・・」。R副会長「そう言ってくれると思ってました」。私「あはは・・・」。電話を切った後、あ~ぁ、引き受けることになっちゃったぁ・・・。

父母会に2年間関わって、その大変さや気苦労は見聞きしていたし、身をもって体験もしていた。学校側との調整、父兄仲間との話し合いや情報伝達。仕事や家庭にしわ寄せが及ぶことも少なくないことは分かっていた。201105081516581 201106051511571 201110211311391

引き受けるからには、息子達が再び花園大会へ出場できるようサポートすることが求められるし、そうしてやりたい気持ちは強かったけれど、はたして自分に何ができるんだろ?

新年度も試合の応援には欠かさずに行きたいと思っているけれど、交渉や折衝となるとなぁ・・・。あぁ、プレッシャーがぁ・・・。息子やチームメイトのために一肌脱いでもいいけど、この下っ腹じゃあ脱いでも迷惑だし・・・。

本当は『俺がやらなきゃ誰かやる』を貫きたいけれど、このままじゃ『俺がやらなきゃ誰がやる』にタイトルを変更を余儀なくされそっ・・・。まだ気持ちの整理がつかないまま、「もう携帯電話が鳴らないように」と願っている弥生の夜telephone

2012年3月20日 (火)

計略

『春分の日』で休日だった私。祭日となると嬉しくて眠っていられない私だったけれど、寒かったので起床するのをためらった。案の定、外を見ると一面が白かった。Img_0002

「春分の日って、暦の上だけかぁ・・・。豪雪の今年は春なんて来ないかも・・・」などとブツブツ言いながら起き出すと、奥さん「おはよ」。私「早いな」。奥さん「○○(次男)は、さっき部活に行ったよ」。なんだ、今日は俺が一番遅かったのかぁ・・・。

顔を洗って、新聞に目を通していると、奥さん「○○(長女)たちと弘前に行く予定だけど、一緒に行かない?」。私「行かない」。奥さん「行かないの?」。私「行かない」。そっけなく誘い断り、新聞を読んでいると、ピンポーン。「おはよー」と長女、6歳様、4歳様が登場した。早っ・・・。

私が一緒に行かないことを知った6歳様と4歳様は、ガッカリとした表情。気の毒になった。というか、一緒に行かない私が悪者になっている雰囲気。そんなはずじゃ・・・。「じゃあ、行くかぁ・・・」と言ってしまったが最後、6歳様「わーい」。というわけで弘前へGO。「たまにはいいかぁ。久しぶりだもんなぁ・・・」

6歳様は先日、保育園を卒園し、4月からは小学生だった。今冬は豪雪だったため、土日はほとんど雪掻きに追われ、一緒に遊びに行く機会が減っていた。Img_0410

私「何処に行きたい?」と聞くと、奥さん「○○(デパート)に行こう」。お前に聞いてない!

目的地に着くと、「じゃあ、後で合流しようね。ヨロシク」と奥さん。6歳様と4歳様を私に預けて、長女と二人で消えかかる。私「おい。俺達は?」。奥さん「好きな所に行ってもいいよ」。長女「お願いしまーす」。

きっと、昨日のうちから長女と示し合わせていたに違いなかった。薄々感じてはいたけれど、今回も計略にハマったかもしれなかった。

好きな所といわれても、私には好きな場所などなかった。私「じゃあ、行くかぁ・・・」。6歳様「行こっ」。4歳様「うん」。行きつく先は決まっていた。Img_0005 Img_0042_2  Img_0011まっ、楽しく過ごしてくれればいいやと思った弥生の休日carouselpony

2012年3月18日 (日)

返信

「第49回日本ラグビーフットボール選手権大会」の決勝戦が今日、国立競技場で行われた。

決勝戦をテレビ観戦していて、「あ~、国内ラグビーでは今シーズン(2011~2012年)最後の試合かぁ。今年はニュージーランドでワールドカップもあったし、花園大会にも行けたし、いろいろとあったなぁ」という感慨も少々あった私。

実は、今日の決勝戦を次男達は国立競技場で観戦することになっているようだった。「ようだった」というのは、私は何も聞いていなかった。奥さんは知っていた・・・。奥さん「セレクション合宿が今日の午前で打ち上げとなるから、その足で国立競技場へ移動して、決勝戦を観戦するらしいよ」と言われて、知った私。

選手権大会を、しかも決勝戦を観戦できるなんて、率直に羨ましかった・・・。けれども羨ましさ以上に、私が知らないことを奥さんが知っていることにムッとしていた。

セレクション合宿中は、こちらから連絡をしても、ついに一度も私に連絡をよこさなかった次男。まぁ、普段も自分から用事がある時以外は連絡をよこさなかったし、男子にそんな側面があることは実体験としても理解していた。その反面、奥さんにはいろいろと連絡していたみたいだった。

そんなことは忘れようと思い、再び決勝戦に見入っていた。試合が終了すると、「今から帰る。9時半に着くから迎えに来て」と次男からメール。

今回は、私が返信しなかった。「意地でも返信なんかするか。いつも歩いて駅から帰って来るだろっ!返信を待ってる者の身持ちを少しは痛感すればいい」。初めて次男に返信しなかった私。

夕食中に、「9時半に戻るみたいだね」と奥さん。むむっ、やっぱり知っているんだぁ・・・。「さぁ、知らない。返信もよこさない常識知らずのメールだから、こっちも無視することにした」と私。

夕食が済み、大河ドラマも終わり、『運命の人』をジ―と観ている私に、奥さん「もうすぐ9時半になるよ」。私「・・・」。迎えに行こうとしない私を軽蔑したような目で見る奥さん。

誰が行くか。行かないと決めたんだから。今さら行かない。行くわけないだろ・・・。固辞する私の心に比例して、軽蔑の表情を強める奥さん。なんだよ、文句あんのかよ・・・。

最終的に誰に対してムッとしたんだかハッキリしないまま、駅まで迎えに行った弥生のシーズン最後の夜rvcar

2012年3月16日 (金)

白ラグパンin東京

東北高校選抜選手として、「イーストジャパンハイスクール代表セレクション合宿」に参加することになった次男。それ自体はありがたかったけれど、何しろ急な話だった。練習用具一式、試合用白短パン、ソックス、スパイク、アップシューズ、ヘッドギア、マウスガード、保険証のコピー、学校承諾書、保護者承諾書・・・。2日間で準備しなければならなかった。

幸いにも旅費はラグビー協会が後で負担してくれることが判明したけれど、取り急ぎ、青森―東京間の新幹線の往復代を立て替えることも必要だった。

私「承諾書関係は記載したから、用具関係をチェックしろ」。次男「試合用の白ラグパンがない」。私「ラグパンは何着もあるだろ」。次男「黒しか持ってない。白は履いたことも買ったことない」。

時間的な余裕もないので、今回もインターネットからの購入は断念し、すぐにスポーツ店へ向かった私と次男。普通に買うと、白ラグパンも安くなかった・・・。Img_0400

スポーツ店から帰宅しようとすると、次男「ちょっとスーパーに寄って」。私「今度は何だ?」。次男「新幹線の中で食べるオヤツを買っていく」。さすがに遠足気分ではないだろうけれど、気楽というか、楽天的というか・・・。

いよいよ明朝出発という昨夜、風呂場でスパイクを洗いだした次男。大会の前になると、スパイクを洗うのが儀式のようになっていた。泥やホコリが落され、暖房の前で乾くのを待つスパイクを見ていると、今回もなぜか気分が高まる私だった。Img_0405

本当に短く、慌ただしく過ぎ去った準備期間が去り、リュックとキャリーバック姿の次男を今朝、駅まで送り届けた私。ごちゃごちゃ言うと逆効果だと思い、「合宿中は終始、元気よく過ごせ」と言って送り出すと、次男「うぃ」。やはり通じてはいないようだった。Img_0409

その日の午後、「無事な到着を知らせろ」という私からのメールを無視するように、次男からは音沙汰なし、何故か、一緒に行ったチームメイトからの連絡で無事に合宿所に着いたことを確認した私。誰の親だったっけ、私・・・。

何はともあれ、東京へ送り出すことだけはできた弥生の週末bullettrain

2012年3月14日 (水)

蒼ざめ

「ただいま」と変わり映えもなく帰宅した昨夜、部活から帰宅していた次男が「なんだか俺、東京に行くかもしれないんだけど・・・」。私「例の遠征の話か?」。次男「いや、今週末に3人だけで東京に行くかもしれないらしい」。

「ははぁ~ん、やっぱりそうかぁ」とピンときたけれど、「何かあったのか?」といちおう聞いてみると、「高校ラグピーの東北代表候補になるかもしれないらしい。それで、東京でセレクション(選抜)があるらしくて、行かなきゃいけないみたい」と半分蒼ざめていた。

実は、2月に福島県で行われた東北大会の直後に、その話題は私の耳に入っていた。正式には『東北高校選抜』のメンバーに選ばれていた。けれども、公式発表はされていなかったし、そのことを次男に伝えると、浮かれて交通事故にでも遭ったらマズイと思い、私からはズーと黙っていた。さらに期末試験が控えていたこともあって、次男の耳には一切入れないようにしていた。「知っているのに知らんふり・・・」と安西マリアを貫いていた私だった。

それが正式に決まり、次男達の耳にも噂として届いたようだった。それでも、正式な文書もまだ届いていなかったため、私「まぁ、可能性はあるさ。東北大会では、なかなかいいプレーだったしなぁ。それにしても今週末が東京だとすると、ずいぶん急な話だなぁ。先生から話があったら、すぐに教えろよ」。次男「うぃー」。

一夜明け、再び「ただいま」と変わり映えもなく帰宅した今夜。次男「監督に呼ばれて、コレを持ってきた」。東北高校選抜のメンバーに選ばれた正式通知だった。そして、『イーストジャパンハイスクール候補』(東日本高校代表候補選手)として全国のラガーマン達と相まみえるため、東京へ来いという招待状でもあった。我が校からは、事前情報通りに次男を含めチームメイト3人が選出されていた。201202081526441

1年生の時も『16歳以下東北代表候補選手』に選出されていた次男だったけれど、手首の骨折で辞退を余儀なくされていた。今回は今のところ骨折はない。擦り傷はかなりあるけど・・・。

やっと、正式にきたかぁ・・・。1か月間も胸に秘めていたことが明るみになって、ホッとした私。ラグビーを始めて、まだ2年足らず。真面目に取り組んできたことだけが取り柄の次男だったけれど、「2年間のご褒美だと思い、東京に行ってこい。そして全国のツワモノとしのぎを削って、友達を増やして来い!」と私。

正式に代表に選出されたことで、これまで欠かさず試合に出向いてビデオを撮影し、繰り返し繰り返し見せてきたことも、福沢諭吉とますます疎遠になったことも、少しは報われた思いがした私だった。

次男はまだ、東北代表候補と勘違いしているらしく、「東北代表『候補』じゃなくて、正式に東北代表だし、その上の東日本代表候補なんだぞ。東京のセレクション合宿で思いっきり暴れて、その上の高校日本代表候補にまで駆けあがっても構わないぞー」と私から言われて、「ははは、それはないから」という次男は蒼ざめた顔がますます蒼くなる。選出されたことの嬉しさよりも、驚きのほうが遥かに上回っている様子だった。

再びラグビー談議に花を咲かせていると、「本当は〇〇(チームメイト)や△△(同)達が選ばれるべきなんだけどなぁ・・・。アイツらのお陰で俺がプレーできてるんだし・・・」としみじみ語る次男。

『one for all,all for one』(一人はみんなのために、みんなは一人のために)。ラクビーの真髄をだんだん分かってきた次男。そのことのほうが嬉しかった私だった。

ラグビー談議を延々と続けていると、奥さん「東京の経費は学校持ち?ラグビー協会持ち?」とポツリっ。次男「東京までの往復交通費は自腹っぽい」。

え゛ー、再び福沢諭吉様が・・・。嬉しくも、蒼ざめた弥生の夜t-shirt

2012年3月11日 (日)

家路

ちょうど1年前の土日は仙台出張だった。1年ぶりに東北各県の仲間達と再会を果たし、夜遅くまで互いの近況を語り合い、そして飲んだ。

ちょうど「3・11」の1週間前にも、同じ仲間と盛岡で酒を酌み交わしていた。その1週間後に大地震と津波、そして原発事故に見舞われることなど思いもよらず、翌朝、「じゃあね、また」と再会を約束し別れていた。

あれから1年。出張とは言え、今回も会議の後の飲み会が目的にほかならなかった。一次会が終わり、全員一致で二次会へ。福島から来ていた3人に「『I love you & I need you ふくしま』を歌って、盛り上げようぜ~」と提案した。

皆、快く、そして思いを込めて歌ってくれた。皆、少ながらず被災していたにも関わらず、故郷を想い、故郷の人々を案じて、熱唱してくれた。そして、全員での合唱に変わった。その歌声を聞けただけで、出張した甲斐があった私だった。

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そして、今日を迎えていた。失われた命や、行方が知れない命、そして1年を経過してもなお、未だに35万人もの人達が今も避難を余儀なくされていた。帰る家を失った人々。戻る家があっても戻ることを許されない人々が、いつか必ずそれぞれの家路につくことができますようにと黙祷した弥生の14時46分watch

2012年3月10日 (土)

365

更新したい気持ちも出来事もあったにも関わらず、ブログの更新をせずにいた私。雪掻きからは解放されていたけれど、今度は仕事が多忙を極めていた。

更新せずに何をしていたのかというと、東日本大震災に関わる報道特集に連日連夜のように見入っていた。そして、毎晩のように胸を痛めていた。そこには、震災から1年を経過したからこそ浮かび上がってくる事実、苦悩、悲しみが映し出されていた。ただただ、番組に見入っては、毎晩、胸を痛めていた。

そんな今週の水曜日。会社に突然、電話が入った。県内のO町の養豚場の社長さんからだった。「3・11」の大津波で、豚舎6棟が全壊し、飼育していた2000頭のうち1500頭の豚が津波にさらわれた経営者だった。

あれから1年。電話の向こうからは「借金して、再び養豚を始めることにしました」。お逢いしたこともなく、話すことも初めてだったけれど、報道等でこの1年間の苦悩を目にしていた。被災後に、米軍三沢基地の米兵が瓦礫の撤去を手伝ってくれたこと、養豚仲間が生き残った豚を引き取ってくれたこと・・・。

電話の主の声は、苦悩を乗り越えようとする必死さと、周囲への感謝と、新たに1億円という借金を抱えながらも今後を見据えた決意とも受け取れた。「良かったですねぇ。そして、頑張りましたねぇ、本当に・・・」とした言葉が出なかった私だった。

そして今日、被災地・八戸市に再び向かった私。東日本大震災と津波により、県内で最も甚大な被害を受けた街だった。1年前に発生した大地震と津波の全体像を捉え、今後の災害への備えを考えようとの趣旨で開かれた『東日本大震災フォーラム』に参加するためだった。Img_14221

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この1年間、この種のシンポジウムやフォーラム、公演会等には何度となく参加していたけれど、関係者から「今回も是非来てね」と言われて、「はいっ、分かりました」と言ってしまった私だった。仙台出張で先週の土日が潰れていたので、今回は休養したかったけれど、行かないわけにはいかなかった。

加えて、あれから1年という時期のフォーラムだったこともあり、これまでのファーラムを総括する意味でも、「今回も参加して、少しは勉強しとこっ!」と100km先の八戸まで出掛けた私だった。

会場となったホテルに着くと、知っている方々が多数。「あらぁ、わざわざ青森から?」「本当は休みの日なのに、ご苦労様」とねぎらいの言葉をいただくと、「いやぁ、たいしたことないっス」と調子のいい私だった。

フォーラムの中身については割愛するにしても、今回も改めて地震や津波の脅威を再確認して帰ってきた私。あの時の恐怖と、その後の不自由な暮らしの記憶が薄れる前に、今回のフォーラムに参加したことは間違いではなかった思った私だった。Dsc_0017

あれから365日。明日の3月11日には、国も県も、被災した市町村でもそれぞれに追悼式を執り行う予定になっていたけれど、実は私個人としては節目の日でも、何でもないと思っている節があった。被災者一人ひとりが立ち上がれる日、被災地の復興が図られた日がそれぞれの節目だとも思っている私だった。

それでも、明日の14時46分には、何処で誰と何をしていても、黙祷だけは捧げよう、そう思っている弥生の「3・10」moon3

2012年3月 5日 (月)

最強生物

3年生達の引退試合があった日。3年生の父兄仲間に交じって、1、2年生の父兄仲間も数名が観戦に行っていた。その大半は次男と同学年の2年生の父兄仲間なのだけれど、一人だけ1年生の父兄さんがいた。

息子さんが出場する、しないに関わらず、試合には必ず観戦にきてくれる父兄さんで、花園大会にも、福島県で行われた東北大会にも駆け付けてくれた熱心なお父さんだった。この1年間ですっかり仲良しになっていた。

そのお父さんは漁師さんだった。私のような、しがないサラリーマンとは違い、自分の漁の腕一つで家族を支えている、頼もしいお父さんだった。

引退試合が終わり、急いで仕事に復帰しようと思っている時に、そのお父さんから「コレ持って帰って。今朝、獲ったやつだから」と手渡されたものがあった。大きなプレデターだった。しかも活きていた。

「あらら、いいんですかぁ。すみません。あざ~す。このお返しは、次男が試合で貢献してお返しします(笑)」とお礼を言い、6体のプレデターを家に連れ帰った。Img_0364

私「ただいま」。奥さん「お帰り。ん?何、それ?」。私「プレデター。まだ生存してる。〇〇さんから6体も貰っちゃったぁ」。

奥さん「ボイルするだけだけでいいの?」。私「おぉ。水の段階から入れて、15分くらい沸騰させればいいらしい」。奥さん「了解」。Img_0362

私「でも、ちょっと待て。プレデターもズーと窮屈だったと思うから、しばらくは水に浸かって、ゆっくりしてもらうから、このままにしといて」。奥さん「あっ、そう」。

水を入れてあげると、活発に動き出したプレデターご一行様。水もなく、窮屈なビニール袋の中で我慢を強いられていたのだろう。それはそれは元気に伸び伸びと鍋の中を動き始める。観ていて飽きない。Img_0368

奥さん「たまに早く帰った時ぐらい、早く夕飯を食べれば?」。私「おぉ。でも、こいつら元気良くって、観ていて楽しいんだけど。ふふふっ(笑)」。

プレデターとたわむれる私を無視して、奥さんと次男は夕食を続ける。再び、奥さんから「食事したら?」と催促されたので、後ろ髪を引かれつつ、いったん夕食を摂ることにした私。

やがて食事を終え、新聞に目を通しながら、今日の引退試合について次男と談話していると、台所から蟹の香りが・・・。あっ、プレデター様をもう茹でちゃってる・・・。Img_0373

奥さん「いつまでも鍋に入れとくわけにもいかないからね。いい色になってきた(笑)」。

地球のためにも、もう少しプレデターの言い分を聞いてあげても良かったのに・・・。プレデターも敵わない最強生物が我が家に存在していることを再確認した弥生の夜scorpius

2012年3月 3日 (土)

ネクストステージへ

次男が通う高校の卒業式があった3月1日の昼。気が付いたら、次男が通う高校のグラウンドに足が向いていた私。ウイークデーにも関わらず、私がこの場にいるのは不自然だったけれど、来てしまった。Img_0309

お昼前に父兄仲間から「間もなく試合ですよぉ~」と連絡があったので、「ん~、やっぱり俺も行こっ!」。卒業生を抱えているわけでもないのに、行っちゃった私。Img_0304

卒業式を終え、ラグビー部を巣立っていく25人の3年生達と、1、2年生との引退試合が目的だった。服装は思い思い。シューズも自由。ヘッドギアも自由。卒業生にとっても、次男達在校生にとっても、最も気ままな試合。そして最も感動的な試合でもあった。Img_0330

卒業する3年生に鍛えてもらった感謝をこめて、次男達は猛アタック。卒業生達も「まだまだ、お前達には負けねぇー」とばかりに、1、2年生を蹴散らす。時には真剣に、しかし終始笑顔の引退試合。普段は近寄ることさえおっかない監督も、今日ばかりはニコニコ(笑)。Img_0321_3

その試合を見守る卒業生の父兄達と、私を含めた一部の1、2年生の父兄達。息子達は、全員が揃う最後の試合を惜しむかのように、「もう1試合、もう1試合」と何度試合もくり返す。父兄達もこの日が息子達にとって本当に最後の部活となるだけに、息子達の雄姿を目に焼き付ける。Img_0331

よく見ると、何を思ったのか、次男は『秘密兵器スパイク』(今となっては秘密でも何でもなくなったけれど)を履きこんで、やる気満々。卒業生に必死に食らいつき、攻め込む。「晴れの門出に、怪我させないでくれ・・・」とハラハラしたけれど、次男なりの感謝の気持ちなのだろう。Img_0324

終始、笑い声が絶えないまま、何度も繰り返された引退試合がついに終了の時を迎えた。卒業生から、1、2年生へ激励の言葉。1、2年生から卒業生へ感謝の言葉。それをジーと聞きいる父兄達。そして、ちょっとウルっとした私。やっぱり、来て良かったぁ・・・。Img_0336 Img_0337

監督からは最後の訓示。もう、このメンバーで試合をすることも、練習をくり返すことも、そして全員が顔をそろえることができないことは誰もが理解していても、淋しさは募るばかり。Img_0361

いつのまにか、3年生ひとり一人の胴上げが始まり出し、再び笑顔、笑顔、また笑顔。その光景を見つめながら、「ラグビー部を卒業していく君達の魂は、しっかりと次男達が受け継ぎます。いや、受け継がせます。きっと・・・」と勝手に思った私だった。Img_0344 Img_0359 Img_0355 Img_0353 Img_0349 Img_0351

ありがとう、お疲れさま、そしておめでとう。次のステージでもラグビー魂を発揮して『ケッパレー』(頑張れー)!そして、次男達も次のステージに向けて改めて『ケッパレー』。2010_0508_150949dsc_0040

門出を祝していたら時間が超過し過ぎて、あわてて仕事に戻った弥生の佳き日fuji

2012年3月 1日 (木)

門出前夜

残業疲れで、ぐったりしていた私をシャキッとさせるメールが携帯電話に届けられた。『先日のDVDありがとうございました。明日の3年生引退試合は見に行かれますか?』え?次男からは何も聞いてない・・・。

あす3月1日は次男の高校も卒業式だった。強靭で屈強、しかも部員数も多い3年生達は、練習では優しき男達だったし、試合では頼もしい男達だった。Dscf0110 Dsc_0008

部内のいじめ、しごきもなく、チームを一つにまとめあげてくれた。その甲斐あって、まだ、ハンパな部分が多い次男だが、入学時に比べると、精神的にも、肉体的にもたくましくなり、ラグビーを愛し、没頭することができた。3年生達の指導のお陰だった。

結果が全てではないけれど、去年は県内の大会は負け知らずだった。花園大会にも連れて行ってもらったことは、次男だけに限らず、父兄としても感謝でいっぱいだった。Dsc_0047_2Img_0061その3年生達も進路はさまざまだった。大学に進学してラグビーを続行する者。そして、ひとまずラグビーに一区切りつける者。

卒業を機に、それぞれの人生は異なっていくけれども、3年間にわたって流した汗や涙を、どうか今後の人生の糧にしてもらいたいと願わずにはいられなかった。そして、それぞれが目標とするゴールに辿りついてもらいたいとも期待している。Img_0051

さて、肝心の卒業試合だけれど、どう考えても明日は仕事。急な腹痛には襲われないだろうけれど、何とか仕事の合間をぬって(強引に合間を作って)、3年生達を快く送り出したいという思いが時間の経過とともに 大きくなっていく私。

卒業試合に間に合って行けるかどうかは分からないけれど、3年生達の門出に際して「卒業おめでとう。3年間おつかれさまでした。でも、本当の人生はこれから。この先も『前へ前へ』と一歩ずつ歩んで下さい」とエールを送りつつ、明日の仕事の予定表をジーと確認する如月最後の夜fuji

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