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2012年5月

2012年5月30日 (水)

筋トレ

骨折した次男ができることといえば、目前に迫った高校総体に向けて猛練習に励む仲間達のお手伝いと、筋トレぐらいだった。もっとも、おとなしく筋トレをしていたのは骨折当初の1週間ぐらいで、すぐさま仲間の中に入って少しずつ練習に加わっていたようだった。

おとなしく筋トレだけを続けていれば、骨折も回復も少しは早まるのではないかとも思えたけれど、おとなしくしていられる次男でもなく、チーム事情を考えると、仲間の元にいたいという気持ちも分からないわけではなかった。

筋トレを行うトレーニングルームを何度か覗いたことがあるけれど、「ほとんどフィットネスクラブじゃねぇ?」というくらいにさまざまな危惧が取り揃えられ、「ひょっとしたら、俺の下っ腹も引っ込むかも・・・(継続できればの話だけれど)」と感じていた。Img_0291 Img_0292 Img_0294

積雪のためにグラウンドを使用できない冬場には、ここで他部の生徒達と共に筋トレを繰り返し、雪解けを待ってグラウンドに飛び出す部員達。学校の中では、教室、グラウンドと並んで長い時間過ごす場所でもあった。

そんな感慨深いことを記すつもりではなかったけれど、骨折がいつになったら治るのか、その後に待っているリハビリがどれぐらい続くのか、そして普通に練習に加われるのがいつになるのか見当もつかない今の私には、グラウンドの光景を見るのは少しだけ辛さがあった。

次男には「焦らなくていい。仲間を信じて今回は応援で頑張れ」と言いつつも、そういう自分にも「焦らなくていい」と言い聞かせ、心の筋トレをしなくてはと思っている皐月の高校総体が迫った夜typhoon

2012年5月29日 (火)

再会

月曜日に再び整形外科で診察を受けた次男。骨折してから2週間。どの程度治っているのか、本人も私も気になっていた。

2週間ぶりにギプスが取れた右手。骨折直後に比べると腫れはだいぶ引いていたけれど、まだ腫れは残っていた。

次男「まだ腫れてる・・・」。私「うん、そうだなぁ・・・。で、まだ痛むのか?」。次男「うん」。Img_0312

診察の結果、再び2週間のギプス生活を強いられることになった次男。2週間ぶりに日の目をみた次男の右手は、10分ほどで再びギプスに包まれることになった。短い再会のひとときだった・・・。

経過次第では今週末の高校総体にギリギリ間に合うかもしれない、という都合の良い考えは、あっさりと却下を強いられ、現実に引き戻された私。

当初の診察どおり、普通の生活ができるまでは最低1か月以上を費やすというのは本当だった。ひょっとしたら、ギプスが取れるかもしれないという私の甘い考えは当然のように砕け散り、正直、シュンとした。

現実を受け止めた後は、2週間後の再診に向けて再び治療することになった次男。最後の高校総体に出場することは叶わず、チームには迷惑をかけてしまうことが明白となり、高校総体の先に待つ次のステージに向けて、もうしばらく忍耐の時が続く。

それでも、微かに抱いていた淡い期待が見事に弾け飛んだ今は、むしろチームメイトの勝利を信じて親子で声援を送る大会にしなけれど、と気持ちを強引に切り替える方法を模索している皐月の再診の日pouch

2012年5月28日 (月)

18歳

5月27日で18歳を迎えた高校3年生の次男。高校総体が迫る中で、骨折からの回復ばかりが気掛かりで、誕生日が近付いていたことを直前まで忘れていた私。プレゼントを準備する時間もなかった。

知っていたとしても、ロクなことはしてあげられないけれど、骨折している時期だけに、励ます意味でも何かしてやれば良かったと後悔ばかりが先に立っていた。

私「せめて、バースデーケーキには『○○(次男)ちゃん、18歳オメデトー』って、チョコに文字を書いてもらうかぁ?」。次男「いらねぇ~」。私「じゃあ、『○○(次男)ちゃん、ガンバ!』はどうだ?」。次男「いい加減にしてくんねぇ」。

ということで、普通のケーキになった日曜日の夜。私的には『○○ちゃん』はナイスなジョークだと思ったけれど、祝ってもらう本人が嫌だと言う以上は諦めた・・・。Img_0307

残念・・・。こういうものは、サプライズに限ると実感した私・・・。

18度目の誕生日は、右手が不自由な状態で迎えることになった次男。それでも、左手にフォークを持ちながら、ケーキを食べていた次男だった。そして、今年は少々ほろ苦い誕生日となった次男でもあった。Img_0310 Img_0311

本当は頑丈な右手をプレゼントしたいけれど・・・、今回は急遽、サプリで笑いを取ることにした私。Img_0304

完治した時に部活で使えるようなものをプレゼントしようと思っているけれど、今は「早く」そして「確実」に治ってほしい、そのことを第一に思っていた皐月の夜cake

2012年5月26日 (土)

試用期間

来週月曜日に次男を伴って再診を受ける予定になっていた。午前中だけとはいうものの、遅刻することには変わりなく、仕事に及ぶシワ寄せを最小限にとどめる必要があった私。

加えて、金曜日に急遽お願いされた仕事が発生していた。「何とかできませんか」と先方に頼まれ、「何とかやってみます」と言ってしまった手前、その依頼に応えるしかなかった。実は、去年の今頃も同じ人に同じ内容の仕事を急遽頼まれては、「何とかやってみます」と返答していた。そのまんま、リピート・・・。進歩のない私だった。

というわけで、休日にも関わらず、急遽、一人で出社し、仕事に精を出したこの日。「ただいまぁ・・・。あ~、疲れた」と帰宅して、水を一杯飲もうと台所に向かうと、冷蔵庫の隣に見慣れない物体が・・・。金魚鉢?Img_0303 http://www.aquaclara.co.jp/tv/?adid=lis&pr=camp&md=googlepc&mn=g015

私「ん?何だコレ?」。奥さん「ミネラルウォタ―」。私「ミ、ミネって・・・、要は水かぁ?何でここにある?」。奥さん「知り合いの人から『試用期間中はタダだから』って言われて、試しに置いてみることにした。お湯も出るよ」。

お湯も出るからイイというものではなかった。私「こんなもの置くって言ってたっけ?」。奥さん「言ってた」。私「本当?」。奥さん「本当」。それが本当かどうかは定かではなかったけれど、今一つ納得できない私。「で、美味しいのか、この水?」と聞くと、奥さん「飲んでみれば?」。

今、その水を飲んでしまうと許可したことになると思い、水道水で喉の渇きを癒した私。水道水だっておいしかった。

「説明書とかあるのか?」と聞くと、奥さん「何も置いていかなかったなぁ」。

「大丈夫かぁ?」と思ったが、これ以上聞くよりは、ネットで調べたほうが手っ取り早いと思い、パソコンで検索してみた私。

「『Aqua Clara』(アクア クララ)かぁ・・・。初めて聞いたなぁ・・・」「宅配水って、水の宅配ってこと?」「砂漠でも宅配してくれるんだろうか?」「水を買う時代とは言え、青森の水道水だって捨てたもんじゃないだろうに・・・」などとパソコンのモニターに向かってブツブツ言いながら特徴を調べた私。

結局のところ、ウサン臭さだけが残ったまま、ソファーに腰を降ろして新聞に目を通していると、奥さん「はいコーヒー」。私「あざーす」と言いながらコーヒーに癒されていると、奥さん「そのコーヒー、美味しい?」。私「おぉ、疲れが取れる感じ。新しいコーヒー豆か?」。奥さん「分かる?」。私「仕事が片付いてホッとしたせいかもしれないけど、美味しい気がする」。奥さん「水が違う~」。あらっ・・・。

試用期間中にシッカリと試された皐月の午後cafe

2012年5月24日 (木)

みんなとひとり

あともう少しで記事がUPできるという時に、比較的大きな地震に見舞われて、入力した文字を焦って自ら消してしまった私・・・。あー、もったいない。と思いつつも、何事もなくて良かったと胸をなでおろしている夜中の私だった。

このところ懇親会続きで、PCと向き合う時間が思うように持てなかった私。加えて、次男のケガが度重なったことによる心労も手伝って、帰宅してPCを前にするものの、「まぁいいかぁ。『明日できることは、今日しない』ということで、少し横になろっ・・・」とマイペースを決め込んでいた。

そんな思いを察してか、次男の具合を心配して下さる父兄仲間には本当に頭が下がる思いだった。それと同じくらいに、ブログのコメントやつぶやきに寄せられた励ましに対しても、本当に「あざ~す」だった。骨折直後は、一人でいるとネガティブ思考な私だったけれど、どうにかポジティブ思考へと路線変更できているのは、皆さんの支えがあればこそだった。

高校総体が来週末に迫る中、次男はギプスのまま、練習にも復帰しはじめたようだった。部活が終わった次男を高校に迎えに行くと、部活の疲労感とともに、明らかに満足感が漂っていた。その姿を見る私は「もう練習して大丈夫かぁ・・・?」と思いつつも、やはり満足感に浸っていた。馬鹿な親子だった・・・。

ご心配していただいてばかりでは申し訳なかったので、今月上旬に盛岡で行われた大会のビデオのダビングを済ませ、父兄仲間に先日手渡すことができた。Img_0291

次男の骨折した大会だったため、正直なところ今までのように「父兄仲間に早く手渡さなきゃ」という心境には今一つなれなかった私だったけれど、骨折は骨折、試合の様子は試合の様子、と割り切って、ダビングに精を出した。割り切ることができたのも、心配してくれる仲間がいると思えたからにほかならなかった。

次男のチームメイトは、ケガ人続出のチームの中で、高校総体を勝ち抜こうと懸命に練習を繰り返していた。慣れないポジションを任される者。多少の痛みをおしてでも身体を張り続ける者。皆、ケガ人の分をカバーしようと、粉骨砕身、練習に明け暮れている様子だった。

チームメイトの背中が「ケガ人が戻って来るまでは任せておけ!」と語っているようで、『みんなはひとりのために』という言葉が胸に去来していた私。骨折が完治した暁には、『一人はみんなのために』を行動で示さなければならない私と次男でもあった。

地震が治まったので、気を取り直して再UPしようとしたけれど、1度目の記事内容と全く異なる内容で急遽UPした皐月のグラグラした夜中night

2012年5月20日 (日)

居場所

土曜日と日曜日の2日間、青森市内で『オール青森』(青森県代表選手)を選考するための合同合宿が行われた。県内の高校ラガーマンのレベルアップと、国体に出場する選手を選抜するために毎年開かれていた。 Dsc_0001

次男は骨折のため、二日間とも先生のサポート役兼ラインズマン役。○○高校として花園大会に出場することが今年の最大の目標ではあるけれど、オール青森のメンバーに選ばれることも一つの個人的な目標の一つでもあり、プレーする上でのモチベーションでもあった。今回の合宿が最後のチャンスではないとしても、出してやりたかったけれど、今はガマンの日々だった。

朝、次男を乗せて会場に着くと、次男「あっ・・・」。私「どうした?」。次男「スパイク忘れたぁ・・・」。私「はぁ?」。次男「でも、どうせ練習にも試合にも出られないから、まぁいいか」。私「でも、履いたほうが、いいんじゃないのか?」。次男「まあね」。私「今から家に引き返して持ってくるから、先にグラウンドに行ってろ」。次男「うん、じゃあ頼む」。私「おー」。

というわけで、キーンと飛ばして自宅に戻り、ギュ―ンと取って返してグラウンドに戻った私。父兄仲間「おはようございます。昨夜はどうも」。私「おはようございます。こちらこそ昨夜はお疲れさまでした」。実は昨夜も父兄仲間8人と打ち合わせの後に飲んでいた。

父兄仲間「おっ、スパイク持って、出場するつもり?」。私「あはは、実は息子が持ってくるのを忘れたので、引き返して持ってきたところ」。父兄仲間「うちの息子もあったなぁ、そんなこと(笑)」。私「(笑)」。

無事、次男にスパイクを届けて、父兄仲間と合宿の様子を観戦した私。絶好の五月晴れの中、県内各地から参集した選手達に目を配りながら、「あっ、あの選手は○○高校の○○君だな」「うぉー、いい体格してるなぁ。100kgは楽に超えてるなぁ」などと品定めをしていた私達。いつもは対戦相手になる他校のジャージの選手と我が校のジャージを着た選手が入り混じる姿も、合同合宿独特の楽しさがあった。Dsc_0004 Dscf0572

次男、N君、D君、T君の4人は別メニューで体力づくり&合宿のサポート役。いずれも我が校FW(フォワード)の大型選手達。そして大型ケガ人達。手前味噌かもしれないが、いずれもケガさえなかったら青森県代表選手の有力候補だった。今回は4人仲良く我慢の日々だった。Dscf0570 Dscf0574

それでも、手の骨折だった次男は他の3人と違い走ることだけはできたので、今日もラインズマンとしてグラウンドを駆けていた。本当は、ラインの中でプレイしたいのだろうけれど、今はラインの外で我慢。走ることができないN君、D君、T君の分も立派にラインズマンをやり遂げてくれ・・・。Dscf0578 Dscf0576

基本的な練習を終えると、試合形式の練習。他校の生徒同士で一つのチームを結成して試合を行うのだけれど、当然のように我が校の選手達が気になる私達。試合というからには勝ってほしいけれど、「今は、とにかくケガだけはしないでくれ~。高校総体まで2週間を切ってるこの時期は、どうか何事もなく無事に済みますように」とだけ願った私達。Dscf0579

ケガ人もなく、無事に合同合宿が終了。父兄仲間に挨拶をして会場を後にすることにした私達。試合には出られなくても、次男はやや満足そうな表情。次男の居場所がここにあることを再確認した皐月の日曜日sun

2012年5月19日 (土)

肉ですね

今日は、市内のスポーツ会館で数校のラグビー部が参加して練習試合が行われると聞き、試合には出場できない次男を乗せて会場に出掛けた。たとえ骨折しようとも、ラグビーから少しでも距離を置く私と次男と私ではなかった。

不幸なことに、今日は昼から仕事が入っていたため、試合観戦できるのは午前中だけ。「練習試合だし、ビデオカメラは不要。時間まで気楽に見ていよう」とグラウンドに近付くと、目の前に監督が・・・。Img_0294

私「おはようございます。すみません、大会が近いのに、またまたケガをしちゃいまして・・・」。監督「おはようございます。本当に折れるよなぁ、○○(次男)は(笑)」。私「あはは、は、は・・・(苦笑)」。監督「肉と豆を摂らないと。カルシウムだけじゃなくて、骨を強くするには肉と豆です」。私「あっ、はぁ。分かりました、肉ですね、肉・・・」。そこから、しばらく食生活談議が続き、グラウンドの横で栄養学の授業を受けることになった私。肉ですね、肉・・・。覚えときます。

次男は、ラインズマンをしながら、グラウンドを走り回っていた。やっぱり、グラウンドを走り回っている姿を見慣れているせいか、その姿を見てホッとした私。Img_0295

部員達に聞くと、我が校はその後もケガ人続出で、次男も含めて5~6人が試合に出場困難な現状だという。しかもケガ人の殆どが前線で身体を張るFW(フォワード)。通常は体格の立派な選手が務めるのだけれど、ケガ人だらけで急遽、今までとは異なるFDというポジションをこなす選手達。あらららぁ・・・、皆さん慣れないポジションさせちゃって、すみません・・・。

「あぁ、みんなケガを治して、早く戻ってきてくれぇ(次男も含めて・・・)」と思いながら、試合を見続けていたが、あっという間に仕事の時間が迫り、グラウンドを後にした私。

それでも、グラウンドに立つ次男の姿を見られた今日は、午後の仕事゜をスッキリとした気持ちでこなすことができた皐月の土曜日banana

2012年5月18日 (金)

そうなんです

寝ぼけまなこで起床すると、奥さんが長電話をしていた。ボーとした頭でも、間もなく事の重大さが分かりかけてきた。

奥さんの父親、つまり私にとっては義父が昨日から行方不明らしかった。奥さんの母親の話では、昨日、山菜採りに出掛けたまま、昨夜は帰宅せず、今朝になっても戻っていないということだった。奥さんの弟にも電話して、心当たりの山を身内で捜索してみようということになったらしい。

私「俺、会社休んで、捜索に行くか?」。奥さん「大丈夫、心当たりの場所が何か所かあるらしいから、母と弟で探しに行くみたい」。私「でも、一人でも多い方がいいと思うんだけど」。奥さん「土地勘のないアンタのほうが遭難すると思う」。私「そうなんですか」。奥さん「・・・」。

奥さんも普段どおりに仕事に出掛けると言い出し、とりあえず現地からの連絡を待って対処しようということになった私達。いざ出社したものの、仕事をしていても落ち着かず、「何か連絡あったか?」「音沙汰はないか?」と奥さんに連絡してみるが、「まだ何もない」「もう少ししたら再度聞いてみる」の繰り返し。

5月とはいえ、朝晩は冷え込むはず・・・。まして山菜が採れるような山の中だから、里に比べて気温は低いだろうし・・・。崖から滑って動けないか・・・。それとも熊と遭遇でもしたか・・・。

結局、午前中探しまわったにも関わらず発見できなかったため、最寄りの警察署に捜索願を出すことにし、義弟が警察署へ行くことに。おまわりさんの仕事を増やして申し訳なかったけれど、これしかなかった私達。

週末で忙しかったけれど、会社でそわそわしながら連絡を待っていても落ち着かないため、部下達に「わりぃ。実はこれこれで、あーなって、そうなったので、俺、早退させてもらうわ。後を頼む」と伝えて、現地へ向かう事に・・・。

奥さんの実家は青森市から車で1時間ほどの町。実家に向かう途中で、奥さんから「見つかったって連絡がきたよー(笑)」と電話が入る。私「おっ、そうか。良かったなぁ。大丈夫だとは思ったけれど、とにかく良かった、良かった。元気なんだろ?」。奥さん「うん、これから警察署に移動して調書を書いて、帰宅するみたい。」

ちょうど、青森市と実家の中間あたりを走っていた私は「俺、どうしよう・・・。今、○○辺りを走ってるんだけど・・・」。奥さん「一人で早退したの?後で落ち着いたら行けばいいんじゃない。アンタも遭難する前に帰宅しなさい」。は、はい、かしこまりました。

遭難しかけた義父は、山菜獲りのベテランだったけれど、ついつい山深く入り過ぎて、道に迷ったらしかった。食料もなく、飢えと寒さに耐えて帰還できたことに胸をなでおろした私達。今回はもうすでに転びかけてしまったけれど、転ばぬ先の『らくらくホン』を与えるべきだなぁ・・・と実感した皐月の週末phoneto

2012年5月17日 (木)

時間の許す限り

前回、心境を吐露したつもりが、余りにシリアス過ぎたせいか、今日読み返してみたら「あらっ、こんな感じだったっけ・・・。ちょっと、入れ込み過ぎてたかも・・・」と反省しきりの私。各位のご心配をよそに、昨夜は仕事がらみとはいえ、シッカリと、しかもガッツリと飲んでいた。

毎年5月は、一年の中で最も仕事がらみの飲み会(懇親会)が多い月だった。すなわち、肝臓と財布にも負担がかかる月でもあった。特に昨夜は、長年お世話になった方が、近日中にトップの役職を勇退すると聞き及んでいたので、トップを譲るという英断に敬意を表しつつ、これまでのお礼を込めて、時間の許す限り親睦を深めさせていただいた。

年齢にすれば私よりも30歳も年上だったけれど、これまで何かと可愛がっていただき、若輩の私に対してもお逢いするたびに声を掛けていただいていた。「困ったことがあったら、いつでも来い」「近くに来たら、必ず立ち寄れ」という言葉は何物にも代えがたい、ありがたいお言葉だった。

トップでいることの苦労話をお聞きしようとしても、「私は何にもしてないよ。周りの人がやってくれるからね」と言うだけ。おこがましいことだが、そこが魅力の一つでもあった。トップを退いたとしても、変わらずにお付き合いいただけるようお願いしつつ、今後もご健康で活躍されることを期して祝杯を重ねさせて頂いた。

こうして、時間の許す限り懇親を深めたリバウンドで、時間の許す限りの二日酔いに見舞われた今朝の私。体調が回復したのは、今日もやっぱり帰宅間際の夕方。Img_0189

岩木山に沈む夕日を見ながら、「どうぞ、末永くご健康で。トップは退かれても、今までどおりのお付き合いをさせていただきます」という思いを抱きながらも、「今月は、あと何回飲まなきゃいけないんだっけ・・・」と予定表を確認してみた皐月の夕方bar

2012年5月15日 (火)

吐露

暗闇に閉ざされたような感覚に陥り、塞ぎこんでいた。こんな時こそ明るく、前向きに、朗らかに・・・、と分かってはいても、今回は思考も行動も伴わなかった。

ラグビーという競技の性格上、擦り傷や切り傷、打撲、捻挫はやむを得ないとしても、息子の骨折は4回目だった。1年生の時は右手首。2年生の時は右鎖骨と左手親指。そして、3年生になった今回は右手の人差指&中指・・・。

このまま息子がラグビーを続けていくとしたら、あと何度同じ目に遭うのだろうか。息子にラグビーを勧めたことが、果たして正解だったんだろうか。大人になる頃に、健全な身体でいられるのだろうか。そんなことばかりが頭の中を駆け巡っていた。

再診の結果、今回の骨折は手術せずに治すという医師の方針に従うことにした。来月初めに開かれる高校生活最後の高校総会はもちろん、その直後に待っている東北大会への出場さえ間に合わない息子がふびんだった。気落ちしないようにと、息子に声を掛け続けてはいたけれど、やはりふびんに思えてしかたなかった。

父兄仲間から続々と寄せられた励ましや心配の電話やメールの数々は、いずれも暖かく、ありがたいものばかりだった。チームに迷惑をかけているにも関わらず、心配してもらっていることには正直、感謝だった。

父兄から電話やメールが届くたびに、「□□のママが心配してメールを下さった」「今日は△△のパパからメールが届いていた」「◇◇のママが、頑張れって言ってた」と息子に伝え、時には頂いたメールの全文を息子に見せて、励ましていた。それが逆効果に作用する息子ではないと信じていたから、寄せられたすべての声をそのまま伝えた。

チーム内には、息子の骨折以上の大ケガに見舞われているチームメイトが2人いた。2人とも復帰の日を信じて、今は元気にチームのサポート役をこなしていた。その子供達や父兄達に比べれば、息子のケガは「たかが指2本の骨折」とも思えないこともなかった。ケガで自分の息子が試合に出場できなくても、チームの試合があるたびに欠かさず応援する父兄にも数多く接してした。

そんなチームメイトや父兄仲間を良き手本として見習わなければならないことは、馬鹿な私でも当然分かっていた。しかしながら、やっと捻挫から復帰できそうだった矢先に見舞われた今回の骨折は、肉体的なダメージ以上に、精神的なダメージが大きかった。

あくまでも、目標は『今年も年末に花園大会に出場する』ことだったけれど、その出場のために勝ち抜かなければならない県予選までにどの程度復活しているのかは、今の時点では見当もつかなかった、身体は治っていても、心が折れていないかどうかも気掛かりだった。そんなにヤワな子じゃないと信じてはいても、不安が尽きることはなかった。

案外、息子よりも落ち込んでいたのは私のほうかもしれないけれど、息子の前では気丈でいようと徹していた。しかしながら、一人になると「他の競技を勧めていれば良かったんだろうか」「この先、もっと大きなケガが待ち受けているのではないだろうか」という負の思考回路だけが連鎖していた。

ラグビー部員でいることによって得られる栄光や喜び、そして仲間。その一方で、付きまとう背中合わせのケガ。栄光や喜び、仲間は、息子も私も共有できることだったけれど、ケガは息子だけが負うことになってしまう現実。心と頭の中では息子のケガの苦悩を分かち合えても、肉体的な痛みは小指ほども感じてやれない私。それを承知で入部を勧めた私が負わなければならない自覚と責任。

しばらくは低空飛行どころか、海底深く潜水状況が続くかもしれないけれど、正直に心境を吐露した今は一日も早い浮上をイメージすることにした皐月の夜moon2

2012年5月14日 (月)

Ⅴサイン・・・

盛岡でのアウェー戦に勝利し、ホッとしながら父兄仲間とともに次男達の高校に到着した私。次男を乗せて自宅へ帰ろうとした時だった。済まなそうに「折れてるみたい」と次男。ん?何のこと?

次男の右手は、明らかに腫れていた。試合には先発で出場し、最後まで出続けていたはず・・・。試合後に顔を見掛けた時も普通の表情をしていた。確かに氷で手をアイシングはしていたけれど・・・。

私「今日の試合中か?」。次男「うん。よく覚えていないけど、後半まもなく、相手にタックルした時だと思う」。私「お前、折れたまま最後まで続けたのか?」。次男「折れてるとは思ってないし・・・」。私「ズ―と痛かっただろ」。次男「うん」。私「自分から交代するって言えばよかっただろ・・・」。次男「・・・」。

周囲の父兄仲間に促されて、早速病院へ・・・。とは言うものの、次男がケガする時はいつも土曜日か日曜日。試合日程上、やむを得ないことだけれど、この日も休日診療してくれる病院を探すことになった私。スマホで整形外科をサーチして電話をかけるが、「先生が留守です」「今日は休診なんですよ」の返事。頼むから誰か診てくれぇ、頼む・・・。

諦めきれない私は、「ここは、やはりあそこしかない!」と思い直し、車を走らせた。行き先は県立中央病院。大袈裟にも思えたが、ここしか思い浮かばなかった。1年生の時に初めて骨折した時も、夜間に県立中央病院で診てもらったことを思い出したからだった。

私「すみません。部活で骨折しました。診てもらえますか?」と駆け込み、これこれこうで、あーして、こーしてと説明。待ってる間も次男の右手はますます腫れるばかり。Img_0284

「骨折と知っていれば、試合のあった盛岡市内ですぐに診てもらうこともできたのに・・・」「骨折していることに気付かなかった俺のせいかぁ・・」「ビデオカメラで試合を追いかけるよりも、次男を様子をもっと注意深く見ていたならば・・・」と後悔の念ばかりが湧き上がってくる私。そのうち、「○○さん、どうぞ中にお入り下さい」と呼ばれて診察室へ。すぐにレントゲン写真を撮ってくれることになり、次男はレントゲン室へ。Img_0285

待ってる間も「どうか打撲で済みますように。最悪でも骨にひびが入ったくらいでオマケして下さい」と念じていると、次男がレントゲン室から出てきた。再び、長い長い待ちぼうけ時間を経て、再び診察室へ。

写真を見せられた。女医さん説明を受けた。折れていた、やっぱり・・・。右手甲の人差し指と中指の2本が仲良く斜めに折れていた・・・。人差し指と中指が折れたってことは、暫くはⅤサインができない・・・。

その夜の診察では、普通の生活ができるまでに最低1か月。ラグビーはそのまた先・・・。Img_0286

女医さん「明日(月曜日)、再び来院して下さい。手術するか、しないかは明日決めましょう。とりあえず今夜は応急措置として固定しましょう。痛いかもしれませんが、ちょっと指を引っ張ります」。次男「はい」。痛そうだけど、是非ともお願いします。何でもしてください、頼みます。Img_0287

県立中央病院の救急センターに3時間。やっと帰宅できた頃はすでに夜9時を過ぎていた。帰宅後に遅い夕食を摂りながら、私「痛いだろ?」。次男「うん、ちょっと。でも大丈夫」。私「明日は早目に病院に行こうな」。次男「うん」。

昨夜は、それしか言えなかった皐月の夜impact

ブッチャー

『第47回IBC杯ラグビー招待試合』に出場する次男達の応援のため、この日は父兄仲間とともに盛岡へ向かった私。1、2年生が乗る大型バスに余席があったため、学校側の配慮で、私達父兄の一部も同乗させてもらった。Img_0262 Img_0260

同乗した父兄仲間は気心知れた仲間ばかり。風邪による体調不良もなんのその。喉飴をおやつにして、半ば遠足気分で出掛けた私だった。

会場の岩手県盛岡市南公園球技場は、手入れの行き届いた鮮やかな天然芝が広がり、聞きしに勝る見事なグラウンド。こんな場所で試合ができることの喜びとともに、本県の不備を実感した私達だった。中学生達の試合が終了した後に開会式。ミニミニ花園大会気分で、次男達のキックオフを待ちながら、応援の準備を整えた。Img_0267 201205131208401

いよいよキックオフ。風上に立った前半は圧倒的に攻め続けた我が校。戦前の期待どおり、ケガ人がいるとは言え、19対5とリード。父兄達の「いいぞ、いいぞ、○○(我が校)!いいぞ、いいぞ、○○(我が校)!」の声援する回数も活気も絶好調だった。

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先発で出場した次男も、足首の捻挫が回復傾向にあるお陰で、多少は左足を引き摺りながらも元気にプレー。春季大会とは格段に違い、本来の動きに近付きつつあるように私には映った。201205131208404_2 201205131255573

そして後半。折からの強風は止むこともなく、風下ゆえにキックしたボールは戻って来るは、相手のキックしたボールは風に乗って伸びるは、挙げ句の果てにはノッコン(ボールを前に落とす反則)が多発するはで、劣勢をしいられる我が校。14点の点差がみるみる縮まり、ついに同点。あわわっ、マズイっ!

応援席の父兄も前半の勢いはどこへやら。シーンと静まり返る・・・。こんな時こその気合なのだが、グラウンドで戦う選手達も、応援席の父兄もシーン・・・。

このままだとマジにマズイと思っていたところ、春季大会の決勝戦と同様に残り時間0分というところで起死回生のトライを取り返して7点差(1トライ・1ゴール差)としてノーサイド。あ~、何とか勝てたぁ~。またしても、残り0分かぁ・・・。それにしても、こいつらは心臓によくない試合ばかり続けてくれる・・・。

親善試合とは言え、青森から岩手に出向いて、負けて帰るのは精神的に良くない。他県の大会に招かれて、アウェーの地で勝っちゃったってことは、悪役のブッチャ―がジャイアント馬場に勝利したようなものだけど、反則じゃなくて正々堂々とワン、ツー、スリーで勝ったんだから、価値ある勝利ということにしておこう。岩手県のラクビーファンの皆さん、ごめんなさい。

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細かいミスは明日からすぐに修正することにして、まずは勝利にホッとした私。この後に行われた女子セブンス(7人制ラグビー)、釜石シーウェイブスVS慶応大学の試合を生徒達と一緒に観戦しつつ、綺麗な芝に感激しながら、一日中ラクビーを堪能させていただいた。Img_0268 Img_0277

帰路のバスの中で、「さぁて、今日は試合にも勝ったし、一日中ラグビーも観られたし、早く風邪を治して、明日から仕事に全力投球しよっと」と思っていた私。しかし、その直後に新たな難題がのしかかることになった皐月の盛岡DAYsun

2012年5月12日 (土)

トロ火

朝、次男を高校に送り届け、その後に食料品の買い物に出掛けた以外はジーとしていた私。庭の雑草取りも気になっていたけれど、肌寒かったことに加えて、風邪を治すことが先決だろうと思い、無理はしなった。

家で身体を休めてはいたものの、今一つソワソワ感が消えずにいた私。身体は休めても、心は明日に向かっていた。既に次の試合が明日に迫っていたのだった。『第47回IBC杯』。次男達は、本県代表として招かれていた。大会は、岩手県復興の意味合いも込めて、岩手県中学選抜、岩手県内の高校、釜石シーウェイブスがそれぞれ県外のチームと対戦するというもの。ク~、まるで悪役みたいっ(泣)。Photo

相手は、直近の岩手県大会で優勝していた盛岡●業高校。現時点の青森県1位と岩手県1位のぶつかり合いだった。招かれていたというだけに、試合会場は盛岡市内。今回も敵地に乗り込んでの試合だけに、一人でも多くの応援が欲しいところだった。

ソワソワ感が続く中で、父兄仲間からも連絡が入り、「明日は7時半には集合しましょう」「応援グッズは責任を持って持参します」「だいたいの人数はどれぐらいになるでしょうねぇ」などなど、電話やメールでやりとりするうちは、身体は休まらないけれど、気持ちだけは前向きに過ごせていた。

今年度に入って、初の県外高校との対戦だった。ケガのために出場できない現在のチーム状態で、どこまで戦えるのかが気になっていた、やはり、本県代表として招かれた以上は、負けられないというプライドもあった。

燃え尽きかけていた心身が、明日の試合が近付くにつれて少しずつ再点火しつつあった私。それでも、最大火力は明日の試合に備え、今夜はトロ火でジーとくすぶっていようと思った皐月の夜moon3

風邪のち桜

息子達の部活に一喜一憂し過ぎる悪い癖は何年経っても治らない私。長男の時も、長女の時も・・・。そして次男のラグビーに至っては、次男に「ラグビーしろ!」と勧めた手前、熱くならざるを得なかった。

次男の大会が済んで、心身とも疲労感に襲われていた今週の私。大会の翌日から咳と喉の痛みがあった。病は気から・・・、風邪をひいてしまっていた。会社を休むほどではなかったけれど、極めてヘビーな一週間だった。

そんな中、木曜日に仙台出張があった。社長「代わりに行ってくれるか?」。私「はい、分かりました。で、泊まりですか?」。社長「泊まって、ゆっくりと飲んできたら?」

飲んでイイと言われれば飲むタイプだけれど、体調不良を抱えたまま飲んだ挙げ句に、具合が悪くなってみんなに迷惑をかけちゃマズイし・・・と思い、「日帰りで行ってきます」とキッパリ。

仙台駅に降り立つのも数か月ぶり。駅前は以前と変わることなく活気があった。地下鉄で移動すればスグだったけれど、会場まで道程は知っていたので、1時間弱をかけて仙台の街並みを歩いてみた。これが良くなかったのか、会場に着いた途端に冷や汗が・・・。マズイ、飲む前から汗って・・・。ビールが余計に上手くなるだろ。Img_0255 Img_0254

1時間半ほどで中座し、私「悪いけど、俺帰るわ」。「えっ、泊まらないんですかぁ」「今から青森まで帰らなくても・・・」「国分町で飲み直しましょうよ」という仲間の声に後ろ髪を引かれつつ、「サンキュー、今度ゆっくりねぇ」と仙台駅へ向かった私。

風邪の症状を考えると、これ以上飲み続けるわけにはいかなかった。何十回も失敗を繰り返し、やっと最近少しだけ大人になった私だった。

再び仙台駅に着くと、父兄仲間(正確には父母会OB)からメールが届いていた。春季大会の健闘を称えてくれる、ありがたい文面だった。少々、酔っ払っていることも手伝って、駅の中で涙腺が緩んだ。そして、いつしか決勝戦の死闘の様子が脳裏をリピートしていた。何度も、何度も・・・。

仙台でセーブして飲むことを知った私。風邪の症状は一進一退だったけれど、幸いにも二日酔いにはならずに仕事に精を出すことができた。自分なりにだったけれど・・・。

残業もせずに帰宅したため、家に着いた頃はまだ明るかったこの日。家の周りはちょうど桜が三部散りといったところだった。Img_0256

「あっ、ウチの桜はどうしたっけ?」と思い出し、我が家の庭の桜をみると、やっと咲き始めたところだった。ひょっとして、青森県で一番遅い?足元に目をやれば、チューリップも咲きそっ・・・。Img_0248 Img_0259 Img_0258

よくよく考えてみれば、各地から桜便りが聞こえていたけれども、この2週間ほどは次男達の春季大会のことで頭がいっぱいだった私。花を愛でる余裕もなければ、そんな心境にもなれなかった昨今だった。

ここで、「大会のことを少し脇に置いて、周囲のことも見回してみよう」と思えば、今日のブログが丸~く納まるのだろうけれど、実は日曜日に県外での試合が待っていた。そして、風邪もそっちのけで、父兄仲間と連日連夜、応援の段取りを連絡しあっていた私。

次男達のラグビーで疲れ、そのラグビーに元気づけられて生きている自分がいると再確認した皐月の風邪気味の夜penguin

2012年5月10日 (木)

出張前日

次男の春季大会がらみの話題が連日続いていたけれど、今年度初めての公式大会であり、次男達にとっては最後の春季大会。我が校の9連覇もかかっていたし、死闘の末の劇的な優勝。そして、捻挫をおして出場した次男の件もあり、私にとってはインパクトの強い、力の入った大会だった。

それだけに、試合翌日以降の私のテンションの下がり方といったら、自分でも「病気か、俺?」と思うほどに疲れ切っていた。連日のように、撮影してきたビデオで決勝戦の様子に見入っては、優勝したことが未だに奇跡に思えていた。そして、ビデオを見終えた後には、決まって「あ~、優勝できて良かったぁ・・・」と心の底から感じていた。

けれども、私にはあまり安堵に浸っている時間はなかった。息子達の軌跡を自分だけ振り返っているわけにはいかなかった。父兄仲間の誰もが息子達の奇跡を今一度観たいと思っているだろうなぁ~と考えると、『TSUTAYA又左衛門店』を一日でも早くオープンする必要があった。Img_0253

私が心身ともに消耗していようと、いまいと、父兄仲間のことを思うと、「ゆったりと」「そのうちに」とはいかなかった。

誰一人として「早くダビングしてくれー」「DVDfまだですかぁ」とは言わないけれど、父兄仲間の事を思うと、「たとえ衰弱していようとも、一晩を犠牲にするつもりで今夜頑張ろっ!」と昨夜製作に取り掛かった。

そして、今朝ようやく完成した。18人分・・・。一つの試合としては過去最高の枚数だった。「ふふっ、相変わらず、やればできる中年だ」と思ってしまった私だった。

今朝、学校に出掛ける次男を捕まえて、私「コレ、みんなに渡してくれ」。次男「おー」。私「忘れないで渡せよ。皆んな、待ってると思うから」。次男「おー」。頼むぞー。

これで、安心して仙台出張できると思い、今夜は速攻で寝ることにした皐月の夜cd

2012年5月 9日 (水)

ひたすらに

次男達の春季大会決勝戦を終え、帰路の途中。通常ならば撮影したビデオを早速、車内で振り返っていた次男だったけれど、今回はひたすら眠っていた。疲労がピークだったのと、死闘の末に優勝を果たした安堵感なのだろう。シートを倒して眠れば良さそうだが、敢えて起こさずに、ひたすらに家路を急いだ。Img_0237

帰宅して父母会から預かっている応援グッズと自分達の荷物を降ろした。新旧ふたつのキャリーバッグも無事に帰宅し、どっと疲れが押し寄せてきた私に、「いつもの場所で祝勝会でーす」と連絡が・・・。大会が始まる前から、優勝したら祝勝会をしようと打ち合わせをしていたのだった。Img_0238

正直、心身ともに疲れていたけれど、「遅れてもいいから行かなくちゃ」と思い、いつもの場所に出掛けた。

既に皆んな盛り上がっていた。それ以上に、みんな安堵の表情と疲労感を滲ませていた。「疲れていたのは、俺だけじゃなかったんだぁ」と思いホッとした私。思い思いに決勝戦を振り返っていると、数時間前の試合の興奮が蘇ってきた私達。「半年後には花園大会の出場も決めて、この仲間達で祝勝会をするぞー」と気勢を上げた。Img_0244

その一方で、「高校総体や花園大会予選で再び死闘が繰り広げられるのか・・・」と思うと、酔うにも酔えない私でもあった(お陰で、翌日は酷い二日酔いにも見舞われずに済んだけれど…)。Img_0242 Img_0241

こうして、息子達のお陰で祝勝会ができた私達。この先も続く各種試合を熱く熱く応援していくぞー!と確認し合いつつ、息子達のステップアップをひたすらに願った皐月の夜cake

2012年5月 8日 (火)

余韻

かつてない激闘を経験した次男達。試合後は、勝利の喜びよりも、安堵の表情が強いように見受けられた。私がそうだったから、選手達もそう見えてしまったのかもしれないけれど、確実に寿命が縮まった試合だった。きっと、あと50年しか生きられないだろうなぁ、俺・・・。

試合直後の次男達は、泥まみれのジャージのまま、顔にべったりと砂を着けながら、それぞれに激闘を振り返っていた。Dsc_0041

前半早々にケガで退場したD君は、心配そうな仲間に囲まれても、気丈に笑っていた。後の診察の結果、剥離骨折+膝の皿の脱臼だったことが今日になって分かった。6月の高校総体は無理か・・・。チームの戦力低下は痛いけれど、「ずっと今まで体を張って頑張ってきたのだから、少し休養しろ」という神さまのお達しだったんだろう。Dsc_0048

神奈川で3月に開かれた大会で大ケガをしたN君は、常にチームのムードメーカーだったけれど、今大会は松葉杖を片手にズーと仲間の応援に専念していた。そして、激闘の後には優勝を一番喜んでいた。Dsc_0050

そして、次男は痛めていた左足を引きずりながら、淡々とした表情だった。激闘で疲れ果てているのか、大苦戦にまだ呆然としているのか、思うようにプレーできなかった歯がゆさか・・・。とにかく無口だった。優勝の余韻よりも、今は休みたい心境なのだろうと思い、「足は大丈夫か」と聞いた以外は何も声をかけなかった。Dsc_0059

選手達の疲労の比ではなかったけれど、私も決勝戦の翌日も、翌々日も、そして今日になっても心身ともに疲労が抜けずにいた。単純に歳のせいかもしれなかったけれど、一時的に燃え尽きていた。

連休明けの社内。部下B「優勝おめでとうございます」。私「おっ、どーも」。部下B「接戦だったみたいですね」。私「思い出しただけで、目まいする」。

部下C「連休中は、ずっと大会の応援だったんですか?」。私「うん、泊まりがけで3日間・・・」。部下C「優勝したんでしょ?」私「最後の最後に、やっと勝てた・・・」。

いつもならば、そこから話に花が咲くところだったけれど、今回ばかりは優勝の余韻もなく、ブルーな月曜日に身を置いた私。早く火曜日に行きた~い、という冗談も出なかった。

今週木曜日には1泊での仙台出張も予定されていた。いつもは楽しい出張だったけれど、正直なところ、今回ばかりは気が向かない私。それでも、仕事ができる環境にあることを思えば、ここは次男達を見習って、心身とも右肩上がりにしてみようと試みる皐月の連休明けbuilding

2012年5月 7日 (月)

Tの左こぶし

次男達の春季大会決勝戦。当日のブログに結果のみだけは記した。昨日はそれが精一杯の私だった。

実は決勝戦を翌日に控えた前夜、選手でもないのに「明日に備えて今夜はもう就寝しよっ」とベッドに入った私。30分・・・、1時間・・・、眠れない・・・。何故そんな行動をしたのかは自分でも思い出せないけれど、その日行われた準決勝の試合を観ようと、ビデオカメラとパソコンを起動して自分で撮影した準決勝の試合を観てしまった。

ますます気分が高揚するばかりの私。このままじゃマズイ。寝ないと決勝戦の応援に響く・・・。結局、2度も観てしまった。1試合が約1時間だから、約2時間も深夜に試合を振り返っていた私。翌朝、そのことを奥さんに伝えると、「何やってんのよ」。

試合開始の3時間前に会場入り。やっぱり眠っ!でも、気合いは入っていた。何しろ、相手は6か月前の大会の決勝戦で接戦を演じた相手だった。次男達2年生(当時)が全員丸刈りになって気合を入れて臨んだ末に、ようやく下した強敵。その後、半年間でますます実力と自信を付けているという情報は入っていた。勝っても負けても僅差になることは必死だった。

選手達を乗せたバスが会場入りし、父兄仲間も続々と参集。そして、なによりも心強かったのは、卒業したOB達やその父兄達までもが数多く応援に駆け付けてくれたことだった。伝統の重みをズッシリと感じて決勝戦に臨んだ私達だった。

試合開始までの3時間も瞬く間に過ぎ、息子達が円陣を組んで気合を入れた。前日の準決勝では後半戦だけ出場した次男は、今日は先発だった。足が痛い、捻挫が完治していないなどと言ってる場合ではないのだろう。次男以上の大ケガをして今大会に出られない仲間のためにも、この一戦は是が非でも勝たなければという覚悟か・・・。無理するなと言うほうが無理なのは分かっているから、出場する以上は死力を尽くせ。201205051421291 201205051421292

キックオフとともに攻め込むが、なかなかトライに結びつかない。戦前の予想通り、一進一退。ゴールラインに近付いては戻され、攻め込まれては押し戻すという、重苦しい展開が続く。そして、Dが左ひざを痛めて試合続行不能という予期せぬ事態も発生した。201205051421293 201205051421294

0対0のまま、前半も終了間際という時に、ついにトライ。先制したのは相手校だった。トライ後のキックも決められて、前半終了。0対7。今大会初めて相手に点数を与えた。しかも先制のトライ献上だった。接戦は予想していたけれど、予想以上の劣勢に父兄仲間も固まった。

シュンとなった父兄仲間に「後半は風上だし、後半はまずは同点にしよう」と言ってみた私だったけれど、正直、そう言うのがやっとだった。

後半が始まった。この30分間で同点、そして逆転しなければならなかった。父兄から悲鳴と声援が続けられる中、選手達は前半以上に喰らいついた。次男は後半も交代する様子はなかった。60分間戦い続けるつもりか。いつしか、「勝つためなら100分でも戦え」と思っていた私だった。201205051421295

201205051504271後半も刻々と時間が過ぎ、点数が入らないまま一進一退の戦いが続く。相手校の強さに加え、グラウンド状態も悪く、皆んな疲れていたが、闘志は途切れていなかった。そんな中で、我が校がペナルティを取られ、相手校にペナルティティキックのチャンスを与えてしまった。会場が静まり返る中、相手校が冷静にキックを成功。さらに3点を追加されて、トータル0対10。残り時間は約15分。誰もが「ここまでか・・・」と覚悟した。201205051504272

引き続きゴール前に攻め込んだ我が校。密集からパスを受けたキャプテンRがついにインゴールに飛び込んだ。試合開始から55分目にしてようやく5点を返した。応援する父兄達がこの日初めて盛り上がった瞬間だった。201205051504273

入ったと思われたゴールキックは認められず、5対10。残りは5分。残り5分で同点、さらに逆転しようと意気が上がる我が校に対して、試合展開を遅らせたい相手校。相手校との勝負、そして時間との勝負でもあった。攻め続ける選手達に対して、監督の指示と檄もヒートアップ。父兄仲間からは「急げー」「もう少しー」の悲鳴が上がる。

残り時間1分。これがラストプレーになる。プレーが途切れた瞬間に試合終了だった。密集から右にパスを展開し、Yにパスが放られた。パスを受けたYが自慢の足を活かして疾走。その横をTが並走した。201205051504274

相手校がYをめがけてタックルにくる瞬間、相手を引きつけてYがTに最後のパスを渡した。歓声とも悲鳴ともつかぬ全ての声を背に受けて、俊足を活かしてライン際を駆けるT。そして渾身の走りで相手を振り切り、Tがインゴールへ飛び込んだ。ビデオカメラを撮影していることも忘れて絶叫していた私・・・。201205051504271_2201205051504272_2

飛び込んだTがボールを地面に着けた。歓声でレフリーのホイッスルが聞こえないが、Tが左こぶしを高く突き上げた。やった、10対10の同点!トライしたTにKが駆け寄ってガッチリ抱き合った。ラストパスを渡したYに仲間が手を差し出した。201205051504275201205051504276 201205051504277 201205051504278

ゴール後のキックをRが落ち着いて決めた瞬間にノーサイドのホイッスル。12対10で奇跡の優勝が決まった瞬間だった。喜びを表す者、疲れ切った者、ジッと勝利を噛みしめる者、選手達はそれぞれに死闘を乗り越えた。2012050515042710 2012050515042712

グラウンドの息子達をよそに、応援席は歓喜が爆発。口の中が乾ききって、皆、声が上ずっている様子。涙を見せるママさん達も大勢いた。皆と握手を交わしているうちに、気持ちが高ぶってしまった私。「足が痛いのに、最後まで〇〇(次男)はよくやったね」と言われて、また泣けた私。20120505150427132012050515042714 

表彰式を終えて、応援席に一礼した選手達。応援席からは「よくやった」「おめでとう」「ありがとう」の声、声、声・・・。最後まで諦めずに、相手校に、そして伝統の重みにも耐え続けた選手達の賜物だった。201205051539191201205051541001 201205051551411

9年連続18回目の春季大会優勝を成し遂げたこと以上に、死闘を乗り越えたこのチームが今まで以上に愛おしく、誇らしかった皐月の決勝戦の詳報birthday

2012年5月 5日 (土)

死闘

苦戦は免れないと思って臨んだ決勝戦。戦前の予想を上回る大苦戦。

仲間とともにフル出場した次男。そして、死闘の末に手にした優勝。Dsc_0040

諦めなかった選手達に、応援席で泣けてしまった皐月の決勝戦のあった日t-shirt

2012年5月 4日 (金)

出たぁ・・・

初戦を無難に滑り出した次男達。一夜明けた今日は準決勝だった。試合開始2時間前に会場入りし、車内で気持ちを落ちつけようとするけれど、これがなかなか落ち着かない。「早くみんな来ないかなぁ・・・」。やがて生徒達を乗せたバスが着き、父兄仲間も徐々に参集。昨日と同じ光景だった。

グラウンドに歩き出すと、あらっ、昨日はカメラ係だった次男が練習を・・・。まさか、あの足で出る気じゃねえよな・・・。まさかだろ・・・。でも足にはスパイクが・・・。スパイクが履けるぐらいには腫れも引いたってことかぁ・・・。それにしても、ここ数日は練習もしてないはず。あっ、だから今、練習してるのか・・・。今回は出なくてもいいのにぃ・・・。頭の中が少し錯乱気味の私。Dsc_0011 Dsc_0014

もう一つの不安はグラウンドコンディションだった。前日からの大雨で、田んぼ状態だった。父兄仲間からは「試合じゃなくて、田植えだな、こりゃ」「いい田植えができそっ」Dsc_0013

キックオフの時刻が近付き、選手達は伝統の『赤黒ジャージ』に身を包んだ。あらっ、やっぱり次男も赤黒ジャージ。ってことは出場する可能性もあんのかぁ・・・。いよいよ試合開始の時刻となり、選手達が整列。次男はベンチ。それでいい、安心・・・。けれども、グラウンドに立つ姿を見慣れている私としては、ベンチにいる次男の姿に少し複雑さも・・・。本当に身勝手な私だった。Dsc_0021

キックオフのホイッスルとともに、攻め込む選手達。しかし田んぼ状態の試合のため、足をすくわれる者、滑るボールにてこずる者などが続出。こんなグラウンド状態じゃ、次男が出ても迷惑をかけるだけ。リードしてることだし、みんなに任せろ。ベンチで見守る次男の気持ちも乗せて、前半は26対0と順調に得点を重ねた我が校。父兄仲間の声援もいい調子だった。Dsc_0022

さあ、後半戦が開始という時に、次男がベンチを立って、本部席へ。あらっ、交代で出るつもりかぁ?ジーと観ていると、その予想は本物となってしまった。円陣に加わって、仲間と会話する次男。父兄達から「おっ、〇〇(次男)だ」「〇〇(次男)が出るぞ」の声。知ってる。俺にも見えた・・・。あわわっ、あの馬鹿、出やがって。201205041525042

そんな訳で、後半戦はケガが悪化しないかと落ち着かない私。手に持ったカメラがブレること、ブレること。さすがにいつものようにとはいかず、左足を少し引きずりボールを追いかける次男。それでも、グラウンドに立っている次男の表情は明らかに嬉しそう。気心の知れ合った仲間達と再びプレーできて、活き活きとしていた。

果敢にタックルに入り、密集からピックアンドゴーで突っ込み、ラインアウトもいつも通りにさばく次男に見入っているうちに、後半戦も次々に得点を量産する我が校。201205041525041 201205041525043

やがてノーサイド。前半26対0、後半45対0、トータル71対0で勝利。お~後半のほうが断然得点してるぅ~。でも、それ以上に無事終わってくれて、ホッ!父兄仲間と明日の打ち合わせをしようと見渡すと、O君(今春卒業した先輩)のご両親を発見。私「あっ、どーもぉ。お久しぶりです(笑)」というわけで、しばし談笑。次男のアニキのような先輩のご両親で、親しくさせていただいていた。後輩達の試合にわざわざ駆け付けてくれるなんて、やっぱり熱いハートは今も健在。あざ~すだった。Dsc_0024

試合後も、明日の決勝戦の相手を見定めようと、もう一つの準決勝を観戦していると、試合を終えた選手達が目を前を通り過ぎる。「お~ミシュラン(あだ名)、お疲れ」「頑張ったな。ケガしてるヤツはいないか?」などと声をかけたけれど、よくよく考えればケガをしてるのは次男だった・・・。

次男も足を引きずりながらチームメイトとともに目の前を通り過ぎたけれど、アイコンタクトだけで声は掛けなかった私。試合に出やがってコノヤローという気持ちと、ケガが悪化しなくて良かったと言う安堵と、よくやったという満足感が入り混じっていた私だった・・・。

父兄仲間が皆それぞれ帰宅し、この日の日程も全て終えて、ホテルに向かった私。高揚感もやっと治まり、次男に「足は大丈夫か?」とメールした私。1時間後に「痛いけど大丈夫」と次男から返信が・・・。「明日も出るつもりか?無理だけはするな」と再び送信すると、今度はすぐに「わかった」と再び返信が。

どこまで分かったのかは不明だったけれど、信じて見守るしかないよなぁと思った皐月の決勝戦前夜sprinkle

親子撮影

次男は出場できないけれど、待望の春季大会が初日を迎えた。天気予報どおりに生憎の雨だったけれど、そんなことは小さいことだった。まだ朝7時だったけれど、高揚感を抑えられず、大嫌いなピンクのキャリーバッグを積み、大会が開かれる八戸へ出発することにした。私「もう行くぞっ」。奥さん「あいよっ」。Dsc_0001

GWの渋滞も殆どなく、順調にというよりも。だいぶ早く着いちゃった。試合開始まで、かなり時間はあったけれど、それはそれで良かった私。父兄仲間が到着するのを車内で待っていると、次男達を乗せたバスや父兄仲間の車両が続々と到着。お~、いよいよだぁ~♪

選手達に「おはよー」「頑張れ―」「調子はどうだー」と声をかけていると、「調子はどうですかー」と後ろから私に聞く人がいたので、誰だ?と振り返ると、「あっ、先生(監督)。おはようございます。すみません、大会なのにケガしちゃってご迷惑をおかけしてます」。いつもは怖い監督だったけれど、今朝はなぜかニコニコ。あー、良かったぁ・・・。

父兄仲間も揃い、大会初戦のキックオフが迫る中、雨は強まるばかり。「ク~、天気予報どおりかぁ。まあ、いいや」と思い直し選手達の練習に見入った私。練習にも参加していない次男は、監督さんと何やら長話。いいよ、無理して出なくても。ぬかるんだグラウンドで無理して試合に出てもケガを悪化させるだけだから・・・。Dsc_0003

そんな心配が伝わったのか、監督さんが私を呼んでいた。あわわっ、やっぱり怒られる?しかも親子で?監督さんの所に向かうと、監督「この人は、▲▲さんです」と言って、監督さんの隣に立つ紳士を私に紹介してくれた。その紳士のことを今は詳しく触れられないけれど、怒られる話じゃなくて良かったぁ。

いよいよキックオフ。次男の姿を探すと、3月に神奈川で行われた大会で大ケガをしたO君と二人で仲良くビデオ撮影係(笑)。ふふっ、今まで殆どビデオカメラなんて撮影したこともなかっただろうけれど、俺の大変さもたまには思い知るがいい(笑)。それにしても親子でカメラを構えることになるとは・・・。Dsc_0004

ケガ人続出に伴い、大幅にメンバーもポジションも入れ替えて試合に臨んだ我が校。序盤こそ少しモタついたものの、トライを重ねていく。3年生に交じって出場した2年生も猛アピール。おー、頼もしい。この調子じゃ、ケガが治っても次男の入る余地がないかもぉ~。201205031253275 201205031253272

トライを重ねるにつれて、盛り上がる父兄仲間達。現役の父母会だけでなく、今春卒業したN君も後輩を案じて来てくれた。同様に今春卒業したE君のご両親もわざわざ駆け付けてくれていた。お~、ありがた過ぎるぅ~。201205031253274 201205031253273

豪雨の中、ぬかるんだグラウンドゆえのミスもあったけれど、前半28対0、後半31対0のトータル63対0で初戦を突破。まずまずの内容とスコアといったところか・・・。201205031253271Dsc_0007

初戦に勝ち、「さぁて、明日に備えて風呂でも入って身体を暖めよう」と思いホテルに向かっていると、父兄仲間から「祝勝会はしないんですかぁ?」と電話。えっ、まだ初戦だろ。優勝するまで何回祝勝会する?Img_0236

でも、結局は行っちゃった皐月の大会初日rain

2012年5月 2日 (水)

準備

連休の合間の仕事は嫌いではなかった。むしろ、好きなほうだった。1~2日頑張れば、再び休み。仕事はいつも通りだけれど、気は楽なので、昨日も今日も喜んで出社。普段は考えられない私だった。

まして、明日から次男達の春季大会となると、その思いはますます強かったけれど、「あんまりウキウキして、仕事でミスしちゃマズイ」と肝に命じつつもも、最後はやっぱりウキウキしていた。部下B「部長、ご機嫌ですね」。私「おー、3日から大会だもん」。部下D「そう思ってました」。私「はははー」。

そんな中、『今年一番の大雨が降る』と盛んに報じられていた。まさに大会に水を差す天気予報だった。やっと、青森も桜の満開宣言が出たばかりだったのに・・・。できれば、五月晴れの中で試合に臨ませたいと思っていた。Img_0234

応援する側も、当然のように好天気を期待していた。雨が降ったから応援に行くのは止めよう、という気はさらさらないけれど、それでも荒天よりは好天だった。どう考えたって・・・。Img4271245320001

仕事も順調に終了し、ここからは完全に大会モード。帰宅途中に愛車の給油を済ませ、ゲンをかついで愛車もきれいに洗車した私。明日から大雨だというのにも関わらずだった・・・。

帰宅すると、奥さん「今夜から八戸に行く?」。私「はあ?ホテルの予約は明日からだぜ」。奥さん「知ってる!あんたが八戸に行きたいのかと思って」。それは早く行きたいけど、準備ってものがあるだろ、準備ってものが・・・。

先日の二日酔いがコリて、昨夜も今夜も晩酌はナシ!入浴も済ませて、明日の準備に取り掛かる私。「大雨らしいから、ウインドブレーカーは必須。父母会お揃いのジャージとキャップも忘れられないし、お預かりしている応援用ペットボトルも積まないと」「カメラは、これぐらいにしとこっ!」「あっ、おやつのバナナを買い忘れてる」。遠足前日の小学生並みだった。Photo

おおむね持参する準備が整ったけれど、私にはもう一つ仕事が残っていた。過去に撮り貯めた試合のビデオを保存しているために、パソコンのハードディクスドライブの容量がほとんど残っていなかった。そこで急遽、電器屋さんに立ち寄って、外付けハードディスクドライブを購入し帰宅していた。Dsc_0001

撮り貯めたビデオを外付けハードディスクに移して、パソコンのドライブの空き容量を増やしたことで、「今後の試合も撮り貯められるぜ、ムフフッ・・・。直前のケガで大会には出場できない次男だけれど、これで皆んなのプレーは残しておけるもんねぇ」と一人で悦に入った私だった。

明日からの大会に備え、今日から八戸入りしている次男からメールの返信があった。珍しいこともあるものだった。だから大雨が降るのか・・・。今朝、高校に送り届けた後に「試合に出られない分も、仲間の応援頑張れ」とメールした私。その返事だった。

「出してもらえないと思うけど、途中出場でもいいから先生に言ってみる」。足が腫れてスパイクを履けないのに、昨夜、スパイクを洗っていたのは、その準備だったのか・・・。Img_0232

「今は無理しなくていいから」と返信したけれど、その決意にちょっと感じるものがあった皐月の大会前夜shoe

2012年5月 1日 (火)

辛さの先

GWも折り返しとなる30日。次男が「部活に送ってほしい」という声に起こされて起床。前夜に父兄仲間とハジケ過ぎたせいで、定番の二日酔いだった私。「う~ん。今起きるから、ちょっと待って・・・。それにしても頭が割れるぅ~。ムカムカするしぃ・・・」。

次男を高校に送り届けて、調子がよければそのまま練習を観ていたかったけれど、この日ばかりは無理だったので、いったん帰宅することにした私。

私「ちゃんと昨日の診断結果を監督とチームメイトにしゃっべって、無理するな。練習中に手伝いできることがあるなら、無理しない程度に手伝えばいいし・・・」。次男「おぉ」。私「じゃあ、部活が終わったら迎えに来るから」。次男「おぉ」。

速攻で帰宅し、身体を休めようとした私に、「さぁて、掃除しようか」という鬼のような奥さん。返事しない私を横目に、掃除機のスイッチを入れる。いつもに比べてハイパワーにして掃除してないか・・・。あ~、頭が割れるぅ~。

グズグズしていると掃除機に吸い込まれそうなので、しょうがなく玄関の掃き掃除から始めることにした私。玄関から見る外の様子は絶好の晴天だけれど、心身ともに今朝の私は超低気圧状態。祝日にいつも掲げている日の丸も、GW突入時に玄関に出しておいた鯉のぼりも心なしか元気がないように見えたのも私の二日酔いのせいなんだろうか・・・。Img_0205Img_0206 

「あんなに飲むんじゃなかった・・・」と後悔してみたところで、掃除はしなくていいというお許しは出そうもないので、しょうがなく風呂掃除、床のモップ掛けへと作業を移行した。辛かった・・・。

何とか掃除も済み、奥さんは満足。私は低気圧が未だに停滞中。この調子だと、今度は庭の草むしりでもやらされそうだったので、私「そろそろ部活も終わるだろうし、俺、迎えに行ってこよっかなぁ。もう出発したほうがいいな、きっと。じゃあ行ってくる」

部活が終わるであろう時刻にはまだ早かったけれど、逃げるようにして高校へ。案の定、まだ部活は続けられていた。いつもならグラウンドに行って、監督に挨拶するところだったけど、今日の体調じゃ無理!遠くから練習を見守ることにした。星飛雄馬の姉のように・・・。Img_0210

歩くのもやっとの次男は、スクラムの外から声を出してお手伝い。いつものように練習ができないのは辛いだろうなぁ。俺も二日酔いで、だいぶ辛いけど・・・。

部活が終わった次男を拾って帰宅すると、父兄仲間のS君のママさんからメールが届いた。「八戸市内の〇〇ホテルが予約とれそうですよ~」。

県内とはいえ、大会が開かれる八戸市と自宅を三日間往復するのは結構ヘビーだったので、気の利いた父兄達は早々とホテルを予約していた。一方、休日出勤と残業に追われていた私は予約もとれず、連日の日帰りを覚悟で臨もうとしていた。

連絡を頂いて、すぐにインターネットでチェックすると、やっぱり空室があるぅ~♫きっと、キャンセルでも入ったんだろう♪二日酔いもなんのその、速攻予約。やればできる中年だった。それにしても、父兄仲間の恵まれ、いつもお世話になりっぱなしだった。本当にあざ~すm(__)m

吉報だと思い、奥さんに予約したことを話すと、奥さん「泊まるって言ったり、日帰りするって言ったり、また泊まるって言ってみたり・・・。明日になれば、また日帰りするって言う?」

奥さんが何と言おうと、次男が出場できなくても、大会が迫るワクワク感はいつも通りだった卯月最後のGWt-shirt

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