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2012年7月

2012年7月31日 (火)

青森でも金、ロンドンでも金

応援に行きたくても行けなかった『第39回北海道高等学校選抜ラグビーフットボール大会』が閉幕した。招待チームの一つとして参加した青森県選抜チーム。そのメンバーの一員として出場した次男が7泊8日の全日程を終え、今朝早くに帰青した。

遥か遠いロンドンで繰り広げられているオリンピックの戦いぶりも関心を持っていたけれど、青森県選抜チームの戦いぶりがオリンピック以上に気になっていた。応援に行けなかった私としては、「北海道のローカルテレビ局あたりで、放送してくれないものだろうか・・・」と身勝手な期待さえしていた。

戦前の期待どおり、優勝を飾ってくれた青森県選抜チーム。猛暑にもめげず、よく頑張ってくれた。全12チームが4プールに別れた予選を危なげなく勝ち上がり、決勝トーナメントでも尻上がりに本領を発揮してくれた。Epson002_2

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1週間ぶりに再会した次男達は、明らかに日焼けしていた。そして、大会の疲労を残しつつも、優勝して青森の地を踏んだ安堵感が漂っていた。次男とチームメイト2人を乗せて帰宅途中の車内は、優勝したことも手伝い賑やかだった(笑)。そして、戦いを終えていつもの表情に戻っていた。

私「暑い中でご苦労だったなぁ。順当に優勝できて良かったよ」

次男「うぃ」

親友A「疲れました」

親友B「旭山動物園が疲れました」

私「行ったのか、動物園?」

次男「うん」

親友A「はい」

親友B「暑かった・・・」

帰宅した次男に「北海道でオリンピック見てたかぁ?」と聞くと、「あんまり見てない。夜は疲れて寝てたし・・・」と次男。「柔道といい、体操といい、今一つなんだよなぁ。メダルも思ったほど獲得してないし・・・」という私に、「あっ、そうだ。コレっ!」Dsc_0023

大会の優勝メダルだった。ロンドンで頑張りつつも、なかなか金メダルに届かない日本選手団には申し訳なかったけれど、代わりに金メダルの雰囲気を味わってしまった私。

「北島選手に2、3日なら貸してあげようかなぁ~」とバカなことを考えながら、「ロンドンでも頑張れ~」と青森からパワーを届けつつ出社した文月最後の朝crown

2012年7月29日 (日)

マイペース

朝から暑かった、今日も・・・。けれども、暑いのは皆同じ。入院している母も暑いだろうと思い、見舞いに行くことにした。

病院は思いの外、涼しかった。というよりも、クーラーが効いて最高だった。それはそうだ、病人を猛暑の中にさらしておくはずはなかった。「涼しくなるまで俺も入院しよっかなぁ」と思ったけれど、口に出すのは止めた。暑くたって、入院している人達は自宅に戻りたいのだから。

腰を手術して以降、リハビリ生活を送っていた母だったけれど、一時的に外泊してもいいとの許可を病院側から得られるところまで何とか回復していた。病院でクーラー生活を続けていた母には、外の猛暑は酷だと思ったので、「秋まで居れば?」と冗談めかして言ってみたけれど、母は帰宅したがっていた。まっ、外の暑さを少し経験するのも必要か。久しぶりに帰宅して、マイペースを思い出すのもいいことかもしれなかった。

見舞いから帰宅すると、暑さはますます増すばかりだった。そんな中で、次男達は今日も札幌で大会に臨んでいた。大会の様子が気になって次男にメールを送ると、しばらくして「60対0で勝った」と返信があった。今大会は、全く応援に行くこともできず、ここ数日は次男のメールとインターネットを注視しながら大会の様子を気にかけていた。Img_0565

「明日は決勝だな。頑張れー」という私のメールに、「うぃ」と次男から再び返信。いつもの「うぃ」を二文字を見て、マイペースでやってると思い安心した私。どうかもう一日ケガなく、そして青森県選抜の一員として正々堂々と戦い、優勝を飾ってきてほしいと願っている文月最後の日曜日diamond

2012年7月28日 (土)

悪循環

この期に及んでも、札幌行きを諦めていなかった。予選リーグを勝ち進んでいるということを知ってからは、その思いはますます募っていた。

金曜日は決勝トーナメントの初戦。負けることはないと信じつつも、朝から結果が気になっていると、「試合結果分かりますかぁ?」と父兄仲間からメール。次男に限らず、どこの息子も親への連絡は得意技ではないらしい(笑)。

この日の夜は仕事上の飲み会に誘われていたため、札幌上陸の野望は完全に打ち砕かれ、悶々としながら仕事をこなし、夜の飲み会へ。本当は今夜にでも北海道へ向かいたいところだけれど、仕事とあらばしょうがない。その代わり、飲んでやった。思いっきり!

そのツケは、今日になって表われた。当然のように頭痛だった・・・。猛暑の中の頭痛。それは、この世のものとは思えない苦痛だった。暑い~、頭が痛い~、暑い~、頭が痛い~。

「どうせ、札幌行きは無理だろうなぁ」と思い、この日の午前中に仕事を入れていたものだから、超~後悔した私。この世の苦痛を一身に背負ったようなものだった。Dscf0615

悪循環の週末を過ごしつつも、この世の苦痛を一身に背負ってあげたのだから、明日の準決勝も勝ってくれるだろうと根拠もなく考えていた文月の土曜日sun

2012年7月26日 (木)

上陸作戦

ロンドンオリンピックが日増しに近付いていることぐらいは分かっていたけれど、私の関心はオリンピックよりも次男達が出場している第39回北海道高等学校選抜ラグビー大会だった。

北海道内の高校を中心とした大会ではあったけれど、茨城、兵庫、大阪の高校とともに、青森県高校選抜チームも招待されていたため、青森県選抜チームの一員として火曜日に青森を発ち、札幌で試合に臨んでいた次男。

当然、応援に行きたいので、会社には休暇を申請していた。仕事も何とか目途はつきそうだった。八戸―苫小牧のフェリーの時刻も調べた。夜10時に出港すれば翌朝6時には北海道に上陸できる。そこから愛車を飛ばせば、札幌は目の前。いい感じだ・・・。

私「会社から休みもらった。札幌に行ける。木曜日の夜に八戸からフェリーに乗船して、金曜の朝には札幌に着くから、決勝トーナメントを応援することにした」。奥さん「はぁ?応援することにしたって?で、お金は?」。私「はぁ~?何とかできない?」。奥さん「フェリー代、宿泊費、食事代、ガソリン代、そのほか全部ひくるめて幾ら要るわけ?」。私「たぶん、●万円ぐらい?」。奥さん「何か月もお小遣いナシになるけど・・・」。私「・・・」。

その会話以降、北海道上陸計画は2日間棚上げだった・・・。

冷静に考えれば誰でも分かることだった。このまま、県選抜メンバーのままで推移すれば、国体出場をかけて東北ブロック大会に臨む次男。東北ブロック大会は、8月中旬に秋田市で開かれることになっていた。その大会には当然、応援に行かなければならなかった。

そして、東北ブロック大会で勝ち残り国体出場が決定すれば、10月には国体。今年の開催地は岐阜県だった。何としても岐阜へ応援に行きたいと思い続けていた。

さらに、秋から始まる花園大会県予選会で優勝し、花園(大阪)で勝利する姿をこの目に焼き付けることが最大の目標であることは間違いなかった。

さらに、花園大会出場に向けた強化試合や練習試合も何度となくマッチメイクされるだろうということも容易に想像できた。

秋田、岐阜、大阪・・・、そして今回の札幌・・・。全部は無理かぁ・・・。我が家の家計を考えると無理だろうなぁ・・・。全部、青森で開催してくれないものかなぁ・・・。あ~ぁ。Img_0557

幸か不幸か、今日で梅雨が明け、青空が広がった津軽。けれども、心が晴れないまま月日だけが経過する私。会社に提出した休暇届けの処理をどうしようか思案している文月の夜memo

2012年7月25日 (水)

分かる

梅雨入り当初はカラ梅雨で渇水も危惧された津軽だったけれど、中盤以降はいつもの梅雨空が広がる日々が多かった。そんな中で、喜んでいたのは、我が家のアジサイだけだった。その元気のいいこと・・・、道路にまではみ出して咲き誇っていた。「この雨を待ってたんだよなあ、分かる、分かる」と一人で納得していた私だった。Img_0568 Dscf0608

そして7月も終盤に近付き、各地で夏の甲子園の代表が順次決定していた。今年の青森県大会は降雨にたたられて、順延続き。今日の決勝戦も降雨のため、やはり明日に順延となっていた。

昨夏の甲子園準優勝、昨秋の神宮大会優勝、今春の甲子園選抜大会準優勝と全国制覇まであと一歩に迫っている光星学院高校(八戸市)と、創部10年目ながらも近年実力をつけて強豪校にのし上がってきた聖愛高校(弘前市)の対決に、県民の注目が集まっていた。

去年は母校等の応援に出掛けていた私だったけれど、今年は応援に行こうとした矢先に敗戦していたため、1試合も応援に行けないでいた。少し物足りなさも感じていたけれど、「その分、ラグビーで次男達のチームを応援するからいいや」と自分に言い聞かせつつ、「明日の決勝戦はスカッと晴れたらいいな」とも思っていた。

それとともに、「息子達が花園大会に出場することを願うのと同様に、野球部員の父兄にとっても息子を甲子園に行かせてやりたいんだよなぁ。分かる、分かる」と勝手に理解したつもりでいる私だった。

夏の甲子園出場を目指す高校球児。年末の花園出場を目指す高校ラガーマン。それぞれに悔いのない夏を過ごして、その先に待つ大舞台を見据えてほしいなぁ~と、柄にもなく真面目につぶやいた文月の夕方bud

2012年7月24日 (火)

10日前

私には不似合いと思われたイルミネーションを鑑賞した日曜日。実は目的が別にあったのだった。イルミネーションを展示していた青森県観光物産館(通称・アスパム)が、ネブタ製作小屋の隣にあったから、ついでに館内へ足を伸ばしただけだった。正確には、アスパムに隣接する「青い海公園」内にネブタ製作小屋が設置されていた。

休日出勤もなく、快晴だったため、今年のネブタの出来栄えが気になって出掛けたのだった。ネブタ祭り開幕まで、あと10日。祭り期間中も楽しいのだけれど、祭りを待つこの時期の高揚感が好きだった。

既に完成したもの。製作途中にあるもの。間に合うのだろうかと思えるものまで、20台ほどがネブタ小屋の中でネブタ祭りの開幕を待っていた。Dscf0610 Dscf0613

闇夜の中で照明が灯ったネブタはもちろん鮮やかなのだけれど、照明が灯らない昼間のネブタもまた造形美が際だっていいものだと思っていた。Dscf0614 Dscf0616

まして、目の前にある完成したばかりネブタは、色あせも汚れも破損もなく、美しいとさえ思えるほど輝いていた。祭り本番で、これに照明が灯ると思うとゾクゾクさえした。Dscf0617 Dscf0618

時間を忘れて、ネブタ小屋を見て回っていると、背後から奥さんが「だいたい見終えた感じ?」と聞いてきた。私「おぉ。もう少し見たいから、これから2巡目に入る」。奥さん「え゛~」Dscf0612

背後の奥さんが一瞬、仁王様の形相に見えた文月の祭り10日前snail

2012年7月23日 (月)

イミネーション

突然だっけれど行ってみた。「東北新幹線開業30周年記念イルミネーション『美四季(うつくしき)★青い森』」に・・・。場所は青森県観光物産館(アスパム)・・・。ちょうど、日曜日が最終日だった。Dscf0621 Dscf0626

私には不似合いの綺麗さだった。節電が気なる夏に何故イルミネーション?という複雑な思いはあったけれど、無料だし、勝手に点灯しているんだったら見ておいてもいいかなぁ~という安易な気持ちからだった。 Dscf0622 Dscf0623

外の暑さとは裏腹に、入ったとたんに涼しく感じられ、「あっ、イルミネーションの美しさよりも涼しさのほうが嬉しい~」と思った私。Dscf0625

中に設けられたベンチに座っていると、目の前には親子連れ。母親「○○ちゃん、綺麗ねぇ」。女児「うん。お星様みたーい」。母親「そうねぇ」。女児「何かお祈りしてもいいかなぁ~」。母親「お祈りしてみたら」。

「うん。じゃあ・・・」と言った女児は目をつぶって願い事をしていた。その様子を微笑ましく聞いていると、向こうから女子高生が3人。

女子高生A「わっ、マジ眩しいんだけどぉ」。女子高生B「うん。マジ眩しいしぃ~」。女子高生A「このイルミネーション意味あるわけぇ~?」。女子高生C「ないない。マジ意味分かんないしぃ~」。女子高生B「マジ、たいしたことなかったしぃ~。行こ行こ、キャハハハ~」。

彼女達の前では、イルミネーションもイミネーション・・・。Dscf0628 Dscf0627 Dscf0624

あの女児も10年後には、女子高生達のようになってしまうのだろうか?マジにそれは勘弁してほしいと思った文月の日曜日flair

2012年7月22日 (日)

選抜選手

名目上は、昨日から夏休みの次男達。けれども、約1か月後に迫った花園大会県予選会に向けて強化を図る最も重要な時期だけに、部活に明け暮れる日々が始まる時期でもあった。チーム内の誰一人としてケガをすることもなく、強化に励んで、花園大会出場を決めてほしいと願っていた。

「土日は休日出勤なしにしよう」と申し合わせていたため、土曜日はいつものように掃除に精を出した私。この間の風呂掃除は奥さんと次男が担当してくれていたのだけれど、これがまた下手だった。排水溝のヌメリ、カビ、水アカ・・・、どれをとっても私の採点では落第。「もう一回やり直し~」と言いたかったけれど、「じゃあ、あんたが全部の掃除をやれば・・・」と言われるので、何も言わずに黙々と浴室を綺麗にしてあげた。Img_0559

勿論、玄関も同様だった。この時期は小さな虫も多いので、徹底的に水で洗い流し、我が家に入りかけた虫達にはお引き取り願った。我が家に来てもらっても、何のおもてなしもできないし・・・。Img_0558

入院中の母を見舞うことにしていたので、掃除が終わるのを待って、弘前市の病院に向かった私と奥さん。入院中の検査で、新たに糖尿病も判明していたため、お菓子も果物も差し入れできない歯がゆさを抱いていた私に、「退屈しのぎと、退院後の食生活改善に向けて、本でも差し入れしたらどう?」と奥さん。名案だった、珍しい・・・。

糖尿病患者の食事について書かれてある本を2冊買い求めて病院へ。手術から半月を経て、リハビリ中の母は順調に回復してくれていた。長男家族、長女家族、次男の近況について報告し、「じゃあ、また来るわ」と言うことで帰宅することにした。お盆前には退院してくれるだろうか。できれば、お盆は家で過ごさせてやりたいものだった。

見舞いから帰宅した頃は夕方になっていた。次男も部活から帰宅していたが、様子が変だった。妙にそわそわしていた。トイレが近い年齢でもあるまいし・・・。

ここで、ピーンときた私。というよりは、ヒヤッとした。普段は自分の部屋に居る次男が居間でそわそわしているってことは、欲しいものがある時のしぐさ・・・。今度は何だろ・・・。

私「何だ、今回は?」。次男「いちおう、来週の北海道遠征の県選抜メンバーに選ばれた」。私「おっ、そっかぁー。良かったじゃん」。次男「でも、ヘッドギアが壊れてる」。

ふふふっ、そんなことはお見通しだった。とっくにインターネットで取り寄せていた。ヘッドギアも破損しては修復し、修復が無理となると何度も買い替えていた。しかも、いつも試合直前に「壊れたー」と言われるため、近所のスポーツ店で急遽購入を余儀なくされていた。

けれども、今回はインターネットで事前に比較・検討していたため、半値以下で買い揃えることができていた。日頃次男のラグビー用具をチェックしていたので、「そろそろ、ヘッドギアが壊れるころかも・・・」と想像していた。チェックの効果が表われた結果だった。学習能力が身についてる私だった、ふふふっ・・・。Img_05641

突然、奥さんが「被ってみたい(笑)」。ヘッドギアを被った奥さんは次男よりも県選抜選手に相応しいと思え、撮影した写真はとてもUPできなかった文月の土曜日drama

2012年7月20日 (金)

二択

高校3年生の次男も、当然のように進路の選択に迫られていた。学力に秀でていれば、センター試験で勝負するところだったけれど、現時点では非現実的だった次男。というよりも、トンビが鷹を生むはずもなく、次男を責められることなどできない私だった。

そんな次男だったけれど、幸いにも部活が評価されたらしく、3年生になってから複数の大学から入学のお誘いを受けていた。わざわざ青森まで各大学の監督さん達が足を運び、次男を勧誘しに来て下さっていた。私も挨拶を受けていた。東京大学と京都大学ではなかったけどぉ~。

もっと優れた高校ラガーマンが全国には沢山いるだろうに、わざわざ青森まで勧誘してきて下さることには、恐縮するばかりだった。当然、悪い気などするはずもなく、感謝するばかりなのだけれど、「次男でいいのかなぁ~?」「大学で通用するんかぁ?」という不安の方が当初は勝っていた私だった。

それから数か月が経ち、その中から監督さんが次男の将来を考えて、2校に絞り込んでくれていた。私にすれば、「ラグビーのレベル高け~」と思える大学だったけれど、監督さんが絞り込んでくれた2校のうちの1校に決定する段階にきていた。

そして先日、高校の三者面談があり、悩み抜いた挙句に次男が選択したのは『日本体●大学』だった。私も次男の選択を尊重し、異論はなかった。「進路が決まったことだし、花園大会出場に向けて安心して練習に励めばいい」と思っていた私だった。

そんな矢先、もう一方の『東●大学』から、「是非、我が校に」というラブコールが再び届いていた。案の定、次男は揺れ動いていた。当初は『東●大学』志望だった次男。『日本体●大学』に絞り込んだとはいうものの、再度のラブコールに揺れ動いていた。Img_0070

そして、『東●大学』に進学した先輩や、『日本体●大学』に進学したラグビー部の先輩達と連絡を取り合って、それぞれの大学の情報収集に励んでいた。各先輩方からは、「ウチの大学に来い」「また一緒にやろう」と再び勧誘されて、悩みに悩んでいる様子だった。Img_0333

その様子を見た私も揺れ動いていた。監督さんには先日、「日本体●大学に決めさせていただきました。引き続きご指導よろしくお願いします」と言ったばかりだった私。今更、監督さんに「再び悩んでます」とは言いづらかった・・・。けれども、最終的には次男の意志を尊重してやりたいと思い、監督さんに電話した私。

私「もしもし、○○(私)です。いつもお世話になっています。実はカクカクシカジカで・・・」。監督「ははは~、知ってますよぉ。東●大学から再び連絡があったでしょう。大いに悩んで下さい。相談にはいくらでも乗りますから」。私「ホッ・・・」

あざ~すm(__)m日頃は厳しいけれど、生徒の進路を親身になって考えてくれる、やっぱり頼りになる先生だった。Img_0526

どちらの大学をチョイスしたとしても、大学の先に待つ人生のほうが長いことだけは知っているつもりの私。昨夜も次男と夕食を共にしながら、知ってる限りの大学ラグビー情報と、役に立たない人生訓を次男に語っては、ついついビールを飲み過ぎ、今朝は二日酔いを後悔していた・・・。

少年よ大志を抱け!中年よ大酒を慎め!と小さくつぶやいた文月の週末school

2012年7月18日 (水)

退役・・・

この夏一番の暑さだった今日の津軽。30℃超えだった。全国各地の暑さに比べれば、楽な方なのかもしれなかったけれど、会社では皆、「あちぃ~」「だる~い」を連発していた。

普段は真っ先に「あ~、あっち~い」を連発する私だったけれど、以外にも今日の暑さはこたえなかった。日頃の心掛けのせいなのか、それとも仕事に熱中できていたのか、とにかく快適に仕事をこなしていた。

けれども、父兄仲間から「東北総合体育大会」(ミニ国体)や、「北海道高校選抜大会への招待参加」の話題で連絡が入ったとたんに、一人でカッカと熱くなっていた。自分の中から焦げるかと思った・・・。

それでも焦げることもなく、仕事も順調に片付き、颯爽と帰宅した。私の帰宅から遅れること3時間。ようやく帰宅した次男は、洗ったスパイクを干していた。

秘密兵器としてプレゼントしたスパイクも、いつしか通常兵器になり下がり、内部も外観も痛んでいた。もう何足目のスパイクになるのだろうか。秘密兵器を手に取った時の次男の笑顔は今でも脳裏に焼き付いていた。しかし、明らかに秘密兵器は限界に一刻一刻近づいている様子だった。

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FW(フォワード)というポジションゆえに、プレーする次男と同様、スパイクも過酷な状況で使用される運命でもあった。文字通り次男の足となり、練習でも試合でも真っ先に泥んこになっていたのは、この秘密兵器だった。ボロボロになるまで使い切ることが秘密兵器に対しての謝意であり、礼儀でもあった。

けれども、いろいろとお世話になった秘密兵器も、8月初旬の夏季強化合宿と、その後に開かれる花園大会県予選会を乗り切ることは、現状では厳しいと見込まれ、そろそろ秘密兵器の任務を解いて、退役を許可するタイミングが近いと感じられた。さらに、高校生活最大かつ最終目的である今冬の花園大会に向けて秘密兵器2号の登場は必要不可決ということでもあった。

これまで必要に迫られてラグビー用品を買い揃え、買い替えるたびに、福沢諭吉が私の財布から旅立っていたけれど、「最後の出費だ」「花園大会出場のための必要経費だ」と強引に自分に言い聞かせ、秘密兵器2号をインターネット検索してみることにした文月の夜shoe

2012年7月17日 (火)

嬉しくないっ!

連休明けの出勤というだけでブルーなのに、多忙な一日だった。お陰で、仕事に追われるようにして一日は過ぎてくれたけれど、蒸し暑さも加わって、確実に体力を奪われた一日だった。

こんな日は一刻も早く帰宅して、冷蔵庫に鎮座していらっしゃるビール様と再会したいところだったけれど、どうせなら一層楽しく再会しようと思い、少々残業までして目一杯疲れて帰宅した私だった。

私「ただいま・・・。風呂~」

奥さん「お帰りなさい。あんたに何か届いてるけど」

私「何だぁ?固定資産税の催促かぁ?まだ払ってなかったけ?」

風呂に直行するはずの足を居間に向けると、テーブルの上には宅急便。その隣には紙袋類・・・。

私「ん?誰からだろっ?」

宅急便の送り主は仕事上の知人(友人)。お中元らしかった。Dsc_0003

私「あらら、また気を使わせちゃったなぁ・・・。どうしても俺にビールを飲んでほしいみたい。せっかくだから飲んであげないとなぁ~(笑)。あ~、嬉しくない、嬉しくない~♪今夜は遅いから、明日にでも電話しとくわ。で、こっちは?」

奥さん「こっちは〇〇(長男夫婦)。こっちは私。誕生日のプレゼント」Dsc_0002

思いがけなかった。嬉しくもない52歳の誕生日を1週間前に迎えていたけれど、誰も気付かぬうちに今まで通り「通称51歳」で押し通せると思っていたの。にも関わらず、見破られていた。なんだぁ、知ってたかぁ・・・。

奥さん「ちょっと遅くなったけど」。私「いちおう、あざ~す」。

奥さんと長男夫婦のプレゼントに先立って、ちょうど誕生日の夜に、長女と7歳様、4歳様から電話で「オメデトー」コールをもらっていた。

ちょうど1週間前の誕生日の頃は、次男の骨折の治り具合が気になっていたけれど、ほぼ完治してくれたことも私にとってはプレゼントだった。

嬉しくもない誕生日を思い出させてくれた家族だったけれど、「あ~あ、もう51歳は通用しねぇなぁ」と諦めつつ、風呂場でついつい鼻歌を口ずさんでいた文月の絶対に嬉しくない夜♪present

2012年7月16日 (月)

強化で勝て今日

強化合宿の最終日。夜中から降り続いた雨は、生憎と朝になっても上がる気配はみられなかったため、「残念だけど、今日はグラウンドでの練習も試合もないなだろうな、きっと・・・」と思い、久しぶりにゆったりと朝のひとときを過ごした私。

ゆっくり新聞に目を通し、携帯電話の着信を確認すると、「11時に迎えに来い」というメールが朝早くに次男から届いていた。合宿初日に「精一杯やって、選抜メンバーを勝ち獲ってみろ」とメールしていたけれど、それには返信をよこすこともなく、自分の都合でメールを送る性格は普遍の次男だった。

合宿会場になっている市内の高校で次男を待っていると、続々と父兄仲間も到着。皆、同じように息子達からメールを受け取ったのだろう。息子達を待つ間、再び父兄仲間で会話、会話、会話・・・。

ようやく合宿を終えた息子達は、皆、スッキリとした顔だった。この3連休は、ちょうど次男達の高校では文化祭が行われていた。けれども、次男達3年生は最後の文化祭を満喫することもでなく、強化合宿のために缶詰生活を強いられていたことを思うと、「ヤレヤレ、終わったぁ~」という安堵の表情だろうか。Img_0533 Img_0529

私「お疲れ。ケガはないか?」

次男「うぃ」

私「今日は雨だから筋トレか?」

次男「雨の中で朝6時半から試合をした」

私「あっ、雨の中、早朝から試合したんだぁ。ご苦労、ご苦労・・・」Img_0532 Img_0520 Img_0530

泥や水溜り、早朝からの試合と課せられた負荷にもめげず、3日間の日程を終えた生徒達。強化合宿の選抜結果は後日判明するらしかったけど、とりあえず今は「骨折から間に合い、ケガもなく終えられただけでよかった」と満足している文月の午後shoe

2012年7月15日 (日)

そこそこ

休日出勤2日目。3日間のうち、1日だけでも休みたいと思い、珍しく朝から真面目に仕事していた私。その私をあざ笑うかのように、父兄仲間から電話。父母会会長のS氏からだった。

S氏「おはようございます。ご無沙汰してます。ところで、今日の強化合宿の会場は何処ですか?〇〇(次男)のパパなら分かると思って・・・(笑)」

私「あはは、おはようございます。ご無沙汰でしたぁ。夜中から雨が降ってますから、きっと予定変更だと思いますけど、○○(次男)からは音沙汰もないし、きっとスポーツ会館か、青森〇業高校のグラウンドだと思います。ひょっとすると、観に行くつもりですね(笑)」

S氏「あらっ、〇さん(私)は行かないの?まさかねぇ~(笑)」

私「実は、カクカクシカジカ・・・で、この時期は毎年休日出勤続きなんですよぉ。観に行きたい気持ちはあるんですけど」

S氏「そう言いつつ、きっと来ると思いますけど(笑)。待ってますから~」

私「あっ、そう言われると行く方向で仕事を調整しそっ。でも、あてにしないで下さいね(笑)」

朝からそんな会話をしてしまっては、心が会社にあるはずもなかった。幸いにも、昨日遅くまで休日出勤したアドバンテージがあった私。こんなこともあろうかと思い、頑張っていた。計算高い私だった。

電話の後の私は、気持ちがオール青森選抜強化合宿のグラウンドに飛んでいた。私の電話の様子から、どうせラグビーの話だろうと察した部下達。

部下B「今日は試合があるんですか?」

私「昨日から、国体の選手を選抜する合宿が行われてる」

部下B「行ったほうがいいんじゃないですか?」

私「いや、大会や試合じゃないし、俺が行ったとしても、俺が選手を選んでやれるわけじゃないからなぁ」

部下B「あっ、そうですか。でも、行きたいんじゃないですか?」

私「まぁね(笑)。分かる?」

部下B「行きたくないことって、今までありましたっけ?」

私「じゃあ、お昼まで目一杯頑張って、午後から休むかぁ(笑)」

部下B「異議なしっ!」

こうして、今日の休日出勤はお昼までと決めた私。いや、みんなの意見を尊重した結果、そうなったまでのこと。民主主義の結果だった。

昼食を済ませて、強化合宿の会場となっている市内の高校へ向かった私。その高校は、骨折の治療のため、先週まで2か月間通っていた県立中央病院に隣接する高校だった。到着すると、そこには4人の父兄仲間の姿が・・・。いつものメンバーだった。

S氏「ほらねっ、やっぱり来た(笑)」

私「あはは、仕事が案外はかどっちゃって・・・(笑)」

A氏「来ないはずがないと思ってた(笑)」

私「お互い様ってことで・・・(笑)」

その後、我が校の熱心な父兄仲間が集まり出し、その数は十数名にのぼっていた。2週間前に行われたラグビーカーニバル以来の再開だったけれど、妙に懐かしくて、嬉しかった。

肝心の強化合宿はというと、朝方から降雨でグラウンド状態は最悪。それでも、県内の高校から選ばれた50人のラガーマン達は、国体出場メンバーを目指し、泥まみれになりながらも懸命にプレーを繰り返していた。Img_0536 Img_0528

所属する高校は関係なし。今回の場は、青森県チームのメンバーとして個のスキルをアップし、そしてアピールする機会。ある意味では、日頃のチームメイトもライバルのような存在だった。Img_0546

そして、各校のラグビー部の先生方も、厳しい目で生徒達をチェックする。いくら次男達の高校が県内で優勝を続けていようとも、この場では個として選手を見定めるだけに、チームメイトを信頼はしていても、頼ってはいられなかった。Img_0540

強化合宿直前に両足を捻挫した次男だったけれど、痛いんだか、痛くないんだか分からないような、そこそこのプレーで泥にまみれていた。Img_0538

思いがけずというか、思っていたとおりとでも言うべきか、強化合宿に足を運んでしまった私。休日出勤のアドバンテージを使い果たしてしまった身としては、「親子揃って、そこそこってことかぁ・・・」と納得した文月の休日出勤2日目rain

2012年7月14日 (土)

個と子

今日からの3連休は、毎年この時期恒例の休日出勤だった。どうしても乗り越えなければならない仕事が毎年この時期に発生していた。7月中の休日出勤を乗り越え、「あ~あ、終わった。やれやれ・・・」と思っていると、あっという間にネブタ祭り。そんな繰り返しの7月だった。

次男は、今日から2泊3日の日程で青森県高校選抜強化合宿に参加することになっていた。県内ラグビー部員の中から一次選考として50人が選ばれていたが、今回の強化合宿での選考を経て、国体メンバー23人程度が決定する段取りだった。

高校生活最後の国体出場のチャンス。出場できることに越したことはないけれど、この合宿では青森〇高校の「チーム」としてではなく、次男個人のプレーや試合への貢献度など、「」の能力が問われるものだった。

にも関わらず、にも関わらず、(しつこいけれど)にも関わらず、昨夜、またまた練習で捻挫をして戻ってきた次男。しかも両足首・・・。氷を詰めたビニール袋を両足にそれぞれ巻き付けて家の中をヨチヨチ歩いていた次男。

大事な大会やセレクションを前に、定番と言っていいほど五体満足ではいられない次男。もう何も言う気になれない私だった。

今朝、合宿に出掛けた次男に、「頑張ってみろ」とメールをしたにも関わらず、返信はなし。いつものことだった・・・。まあ、全力を尽くすことが大事だし、結果は時の運かぁ・・・。

休日出勤をこなしつつも、強化合宿が気になった私。本来ならば会場に足を運ぶところだけれど、今回の休日出勤だけは、どうしても連休中に片付けなければならなかった。気持ちはグラウンドに、身体は会社にと、半ば幽体離脱状態で休日出勤をこなした私。

そのうちに、「お先しまーす」「また明日頑張ります」と部下達が一人ひとり帰宅しはじめる。「おー、お疲れ」「じゃあ、また明日なぁ」と部下を見送った後の社内には私一人。「まっ、慣れたもんだし、気楽でいいかぁ~」と思い直し、仕事に精を出すことにした。自分なりに・・・。

3日連続での休日出勤を2日連続に切り上げて、何とか最終日には強化合宿の様子を観たいという不純な動機から、その後、別人のように猛烈に仕事に精を出した私。普段は絶対に発揮することのない仕事ぶりだった。『やればできる中年』だと自画自賛したのは言うまでもなかった。Img_0315

気が付くと夜7時。やり遂げたぁ~♪中年の「」の力もまんざらではなかった。けれども、その力を貸してやりたい奴がグラウンドにいた文月の休日出勤1日目snail

2012年7月13日 (金)

み、み、水・・・

夜7時といっても、うっすらと明るい夕暮れ時。帰宅した私を出迎えてくれる唯一のものがあった。アジサイだった。道路沿いに植えていたため、帰宅するたびに成長が手に取るように分かった。

そのアジサイがようやく咲いた。正確には咲き始めたところだった。周囲の家では綺麗に咲き誇っているのに、今年も我が家のアジサイが咲くのはトロかった。私に似てるということか・・・。Img_0508

梅雨時なので、水やりをする必要はないと思われたけれど、今年の津軽の梅雨は渇水さえ危惧されるほどの少雨だった。大きな被害をもたらした九州地方の大雨災害を思うと胸が痛むけれど、津軽では今、雨が恋しかった。

我が家のアジサイも雨を恋しがったいるように思えたので、帰宅後、家に入る前にホースで散水してあげた。「きっと『水、水をくれー』と言っているはずだから。そうに違いない」とアジサイの気持ちを察した私。ガッツリと水をかけてやった。散水というよりは、水浸しに近かった・・・。

いいことをした後は気持ちが良かった。意気揚々と家に入った。私「ただいまー」。奥さん「お帰りなさい」。私「アジサイに水をかけてやった。水が不足して、綺麗に咲けないと可哀想だしな~(笑)」。

褒められると思ったけれど、なかなか褒めない奥さん。私「聞いてる?」。奥さん「天気予報によると、明日から雨が降るらしいけど・・・」。Img_0509

びしょびしょになるくらい、ワイルドに与えてやったことは黙っていた文月の夕方tulip

2012年7月12日 (木)

熟成

とっくに届いていた・・・。先日受けた健康診断の結果。手元に届いてから、もう10日にはなるだろうか・・・。

結果を知るのが楽しみなはずもなく、結果が入った封筒をパソコンの後ろに立てかけていた。「何日か寝かせておけば、いい結果になるかもしれないし・・・」というささやかな願いからだった。漬け物だって、チ―ズだって、ワインさえも寝かせておけば美味しくなるのだから・・・。

そろそろ熟成されたかなぁ~と思い、こっそりと封筒を開いてみた。Img_0510

身長185CM、体重82Kg、視力0.4と0.2・・・。思い出した、そんな数字だったという記憶がある。

胃はセーフ。あれほどバリウムと悪戦苦闘したのだから、当然の結末だ。これで胃にポリープでもあろうものなら、来年からはカルピスにさせてもらうっ!

聴力、心電図も良し。ふふっ、熟成させた効果が出てる~♫

問題は、今年もコレステロールだった。基準値を遥かに超えていた・・・。想定はしていたけれど、やっぱり・・・。

血圧も少し高かった・・・。肺も疑いがあった。去年も同じだったけど。

診断の結果を知り、今夜はビール(発泡酒)を控えた私。冷蔵庫でビール(発泡酒)の熟成が進む文月の夜memo

2012年7月11日 (水)

ネブタ近し

定時に仕事が終わっても、日暮れは遅かった。夕暮れ時期に青森市内を歩いていると、この時期の津軽ならではの音色があちこちから聞こえていた。

ネブタ祭りまで1か月を切り、津軽の各地ではネブタ囃子の練習が運行団体によって連日続けられていた。Img_0431

我が家の近所にもネブタを運行している団体があるため、囃子の音色が窓の外から家の中に届けられていた。夕暮れ時に缶ビールを飲みながらその音色を聞くのは、悪くなかった。

そしてネブタ小屋では急ピッチでネブタ製作も進められていた。今年はどんなネブタが出陣するのかが気になっていた。去年のネブタ祭りが終わった時点で、もう来年のネブタが気になっていた私だった。Bankin Ntt Panasonic

そのネブタ祭り期間中に、次男達は恒例の夏季強化合宿を行う予定になっていた。「あの合宿はマジにキツイ」と言う次男。合宿地の近くに無理やり用事を見つけて見学に行ったことがある私も「アレを何日も続けるのはシンドイだろうなぁ」というのが正直なところだった。

けれども、春季大会や高校総体、東北大会が終わり、チームの課題や個々のテーマが見つかったこの時期に強化に努め、強みを伸ばすことは必然だった。まして、次男達にこの先に残された試合は、花園大会出場に向けた県予選会と、県予選会優勝の先に待つ花園大会本番だけ。3年間の部活動で最大、かつ最後の目標だった。この大会のために、血と汗と涙を流し、チームとして結束し、困難を乗り越えてきた次男達だった。

そんな次男達が高校生活最後の強化合宿に入るのに際して、どうかケガや病気には気を付けて、悔いのないように一回りもニ回りも強靭になって帰ってきてほしいと願っていた。

そう願う私の横で、一回り強靭なお腹の奥さんがテレビを観ていた。あぁ、ネブタ(寝ブタ)の時期が近づいてきたなぁ・・・と思った文月の夜pig

宿題完了

51歳のうちにやり遂げようと自分に課していた宿題を、52歳の今日まで繰り越ししていた。先月開かれた東北高等学校ラグビーフットボール大会をダビングが完了しないまま、いたずらに月日だけが経過していた私だった。

これまでは徹夜をしてでも一気にダビング作業に精を出せていたけれど、今回は忙しさと疲労が蓄積したせいか、作業がハンパのまま、棚上げ状態になっていた。

加えて、ブルーレイディクスも底をつき、プリンターのインクも一気に減少したことも加わり、「TSUTAYA又左衛門店」の看板も、蜘蛛の巣が張った状況だった。

「このままじゃマズイ・・・。試合のDVDを待っている人達がいるかもしれないし・・・」という気持ちがありつつも、一朝一夕にやれる作業ではなかったため、「自分の体力と気力、そして必要資材の3拍子が揃ってからにしよっ・・・」という状況が長く続いていた。相変わらず、『明日できることは、今日しない』を実践していた私だった。

そんな状況を長く続けてはいられないと思い立ち、土曜日からダビング作業に着手した。かなりの枚数が出来上がるにつれて、だんだん調子が出てくる私。いつもなら、「やればできる中年だ」と思ってきたけれど、今回ばかりは「あ~あ、もっと早くやってれば良かった」と後悔していた。そして、何とか今夜完成した・・・、34枚。Dsc_0008

51歳の宿題を、52歳でこなしたことを反省している文月の夜snail

2012年7月 9日 (月)

明るい51

今朝は次男の骨折の治り具合を確認するため、朝から病院に直行した。小さな街とは言え、我が家とは正反対に病院が立地しているため、乗せていかなければならなかった。というよりも、診察結果を直接聞かなければという思いがあったため、毎回同行していた。

5月に開かれたIBC杯で、右手の指2本を骨折してから2か月。今日で5回目の通院。レントゲン写真も今日で4回目だった。

今朝も1時間ほど待たされた末に、看護師さん「〇〇さ~ん、レントゲン撮影です」。勝手知ったる次男は、「うぃ」とレントゲン室へ。レントゲン撮影を終えてから再び1時間。看護師さん「〇〇さ~ん。3番にどうぞ~」。待ってましたぁ~♪Dsc_0001

今日の先生様は、いつものオジサン先生ではなく、骨折した夜に急患として診て下さった若い女医の先生だった。ツイテル(?)。

女医先生「だいぶ骨もくっつきましたねぇ」。私「あっ、そうですかぁ~。先生のお陰です」。女医先生「そろそろ部活を始めてもいいと思います。ただし、徐々にですよぉ~」。私「あっ、そうですかぁ~(笑)ありがとうございます♪」。その横で次男がニヤっ!Photo

女医先生「今日で通院も最後にしましょう♪」。私「ありがとうございます。先生(女医先生)に急患で診て頂いたお陰です。またヨロシクお願いします」とお礼を言って診察室を後にしたけれど、「またヨロシクお願いします」は余計だったかも・・・。

そろそろ部活を初めてもヨロシイというお墨付きをいただいたけれど、次男は骨折10日後に部活を開始し、試合にも出場していた・・・。そのことが可笑しくて二ヤっとした次男だったけれど、私も実は心の中で二ヤっとしていた。「女医先生、嘘つき親子で、ごめんなさい・・・」。

お世話になった女医先生との別れに少し後ろ髪を引かれた私だったけれど、整形外科とも縁が切れてホッと安堵した今日の私。心配と迷惑をかけてしまったチームメイトと父兄仲間には、次男のプレーと私の応援でお返ししなければと思いつつ、明るい気持ちで51歳を終えられた文月の月曜日sun

2012年7月 7日 (土)

TANABOTA

七夕だった・・・。小さな子供がいる家庭では、願い事を記した短冊を笹にくくりつけたり、星に願いをかける光景もみられるのだろうけれど、それがない我が家ではソファーに横たわって奥さんが昼寝をむさぼっている光景がみられた。

私は・・・というと、どうしても済ませておきたいことがあったため、一日中、PCの前に座っていた。それもまた冴えない光景だった。

昨日頂いた鯛を、長女の旦那様が見事な包丁さばきで刺身にしてくれた。包丁さばきも見事だったけれど、鯛の味も格別だった・・・。わざわざ届けて下さったA氏には本当に感謝だった。Img_0497 Img_0499

鯛の歯ごたえの良さに、少しアゴが疲れた文月の棚ボタの夜night

鯛の理由

あと2時間ほどで今日の仕事も終わり、と言う頃に携帯が鳴った。「誰だろ、今頃・・・。飲み会の誘いか?」と思って相手先を確認した私。次男と同じラグビ―部員の父親「A氏」だった。

その父兄の息子さんは、次男よりも1学年下だったけれど、父親とは応援仲間であり、呑み仲間だった。私と同様に、試合がどこで行われようが常に応援に行く、熱心な父親だった。

私「もしもし、どーもぉ(笑)」。A氏「すみません仕事中に」。私「どうせ、たいした仕事してないから大丈夫でーす(笑)」。A氏「今日は何時に仕事終わるの?」。私「(きたきた、やっぱり飲みの誘いか・・・。)6時には終わるけど、どうしました?」A氏「ちょっと、会って渡したいものがあるんだけど・・・」。私「えっ、何?」。A氏「でっかい鯛を釣ったので、食べてもらいたくて」。私「鯛って、あの泳いでる鯛?」。A氏「今は泳いでないけどね」。

待ち合わせの場所に行くと、1~2分後にA氏が登場。車の荷台にはデカイ発泡スチロール・・・。A氏「今朝釣れたから、是非食べてもらいたくて持って来た」。私「発砲スチロールがデカくない?」。A氏「氷も詰めてあるから、鮮度もバッチリ(笑)」。

A氏とは、花園(大阪)でも、神奈川でも、福島でも、そして秋田でも、試合のたびに応援で顔を合わせていた。当然、酒を飲む機会も少なくなかったので、仲は良かったけれど、ここまでしていただくのには少々気が退けた。とは言いつつも、待ち合わせの場所に来たこと自体、私に受け取る気があったことは確かだった。

丁重にお礼を言って、「じゃあ、また応援の時に再開しましょう」ということで別れた私達。この時点で、まだ発泡スチロールの中は確認していなかった私。奥さんに速攻電話し、「Aさんから鯛を貰っちゃった。ところで、鯛をさばける?」。奥さん「程度によりけり」。私「入れ物(発砲スチロール)はかなりデカイ。鮮度を保つために氷も多いとは思うけど」。奥さん「中を見てないの?」。私「生きてたら困る」。

中を見ろというので、恐る恐る蓋を開けた私。私の目の前には、鯛の目。こっちを見てる。すぐに蓋を閉じた。相当デカイ・・・。Img_0496

今度は、すぐに長女に電話した私。長女の旦那様は、料理人だった。しかも日本料理の・・・(笑)。この日のために結婚してくれたようなものだった。

カクカクシカジカ・・・と訳を話し、長女の家へ直行した私。旦那様は仕事に出掛けた後だった。長女の家で、再び蓋をオープンした私。7歳様(長女の娘)「うわー、大きいお魚」。4歳様(長女の息子)「生きてるの?」。Img_0493

長女の旦那様に鯛を丸投げして帰宅した私に、奥さん「お帰り。鯛は?」。再び、カクカクシカジカ・・・と長女宅に置いてきたこと説明した私に、奥さん「せっかくの鯛だから、何かおめでたいことでもあればちょうどいいのにねぇー」。

数日後に誕生日が来ることを自分から言い出せないでいる文月の夜fish

2012年7月 5日 (木)

シックリ

数日前の話題ではあるけれど、ザ・ピーナッツの伊藤エミ(正確かどうかは不明)さんが逝去との報を聞き、残念だった。

引退してかなりの時間が経過していたのだろうけれど、彼女らの消息が何となく気になっていた。あのハーモニーをもう一度だけ聞きたいと常々思っていたけれど、叶わぬこととなった。

シャボン玉ホリデーを観ては、「歌の上手い人達だなぁ」と子供心に思っていた。双子という姉妹が世の中にいるということも彼女たちを通じて知った私だった。

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「ウナ・セラ・ディ東京」という昭和の名曲も、彼女達のデュオも、中年となった今の私にシックリとくるものだった。

昭和という時代が、静かに、そして確実に遠くへ去りつつあることを改めて思っている文月の夜tv

2012年7月 4日 (水)

ハーフタイム

瞬く間に7月に入っていた。ラグビーに例えれば、前半が終了し、後半突入という局面だった。

花園大会の熱が冷めないまま新年を過ごし、2月には東北新人大会の応援のため、福島県いわき市へ2往復。201112271131561 201202101607391

3月には、お世話になった上級生が卒業し、一抹の淋しさと不安を抱えながらの松前杯争奪大会。決勝戦進出にジッとしていられなくなって、急遽、神奈川県平塚市へ日帰り応援。Img_0344 201203291443051

新入部員を迎え、新チームとして始動した4月。Img_0219

5月には、死闘の末に大逆転で優勝を飾った春季大会。泊まりがけで応援した甲斐があった。財布は痩せたけど・・・。201205051504271 Dsc_0039

6月には、IBC杯の応援のため、岩手県盛岡市へ応援に。接戦の末に岩手県代表を退けた息子達。201205131255573

さらに、高校総体では周囲の不安をよそに、見事に優勝。春からの成長を見せてくれた選手達は頼もしかった。2012060414264911 Dsc_0034

加えて、青森県代表として秋田市で行われた東北高校ラクビー大会(NHK杯)では、強豪相手に善戦し準優勝した我が校。応援のため、3日間も秋田市まで往復したけれど、どの試合も印象深いものだった。201206171404531 201206171445049

そして、この半年間。打撲、擦り傷は日常茶飯事。足首の捻挫で春季大会は満足に走ることができなかった次男。そして捻挫が治りかけた頃に再び襲いかかったIBC杯での右手骨折。高校生活最後の高校総体には1試合も出場できなかったけれど、優勝してくれた仲間達には感謝だった。そして、右手骨折が完治しないままに強行出場した東北大会では、私の心配をよそに気合を前面に出してプレーしていた次男もたくましくなっていた。Img_0227 Img_0312

半年が過ぎ去り、「あっという間だったなぁ・・・」というのが実感だった。先日行われたラクビーカーニバルは、これまでの半年間と、これからの後半戦を考えた場合、ハーフタイムとしてはちょうどいいイベントだった。

そして、12月までの後半戦は、今年最大の目標である花園大会出場を賭けた県予選会が待っていた。3年間の部活動の目標がそれに尽きると言っても過言ではないほど、一番重要な戦いが待っていた。極論かもしれないが、春季大会や高校総体には優勝できなくても、花園大会出場は勝ち取らなければならなかった。そして、花園の地で勝ち進むことが我が校のラグビー部に関わる全ての人々の願いでもあった。Img_0445

全てが順風とはいえないけれど、6月までの前半を振り返っただけでも、いろいろな場所に行き、多くの感動をもらった私。7月以降の後半に何が待ち受け、どうな感動に出会えるのかを想像しつつ、そのためにも地の果てまで生徒達を応援に行こうと覚悟した文月のハーフタイムcafe

2012年7月 3日 (火)

焼きっ!

ラグビーカーニバルから一夜明けた今日は、いつも通りのブルーな月曜日。しかも、カーニバルの疲れが抜けずに、グッタリとして会社に向かった。

部下B「おはようございます」。私「おはよー」。部下B「松崎しげるかと思いました」。私「はぁ?」。部下B「今朝もよく焼けてて・・・」。私「そんなに焼けてるか?」。部下B「ミディアムって感じ」。私「生姜焼きじゃなくて良かったわ。ははは~」。笑えたけれど、疲れはシッカリと残っていた中年だった。

しかもこの日は、夜6時半から県境の町で行われる会議に出なければならなかった。面倒くさいとは思わなかったけれど、部下に行かせるのは気の毒だったので、3時間かけて県境の町へ。1時間の会議を終えて、再び3時間かけて帰宅した頃は既に10時半。マジ疲れたけれど、大きな問題もなく先日のラグビーカーニバルを終えられた満足感だけで、疲れを凌いでいた。Img_0470 Img_0477 Img_0482

そのカーニバルに直接関わって3年目の今年は、いろいろな人々に助けられて盛会のうちに幕を閉じることができた。父兄仲間の協力はもちろん、OB達や父母会OBなども駆け付けてくれて、いっそう楽しく盛り上がりながら一日を過ごすことができた。本当にあざ~すだった。Img_0464

父母会メンバーには、焼きソバ係、かき氷係など、それぞれの担当を受け持って頂いたのだけれど、3年生の父兄は慣れた様子で、2年生の父兄は来年につなげようと、1年生の父兄は初めてなりに、それぞれに受け持った仕事をこなして下さった。Img_0459

父母会の副会長を仰せつかっていた私は当初、会長と共に全体を見渡していた。「うんうん、皆さんイイ仕事ぶりだなぁ~」と感心していた私だったが、父兄仲間から「〇〇(次男)のパパ、焼きソバを焼いてちょうだい」という声に、「はーい、只今」と安請け合いした手前、急遽、焼きソバ係長を拝命することに・・・。

私「俺、焼きソバ係になった。焼きソバUFOなら作ったことあるけど・・・」。フランクフルトソーセージを担当していた奥さんは「お湯は要らないからね。焼けばいいからっ!」。アドバイスがワイルドだぁ~。

折からの暑さに加えて、バスバーナーの熱さで、焼きソバを焼く私のアゴから滴り落ちる大粒の汗は、みーんな焼きソバの鉄板の上に・・・。「やべー、塩焼きそばなりそっ・・・」と思い、一生懸命に焼きソバと汗を混ぜてごまかす私。

周囲の父兄からは「〇〇(次男)のパパ、上手、上手!」。ははは~、それほどでもぉ・・・。お世辞とは分かっていても、褒められて伸びるタイプの私。塩焼きそばにならないよう、ソースを加えたこと、加えたこと・・・。Img_0455

こうして、暑さによる汗と冷や汗が交じる中、無事にカーニバルを終えることができた私。カーニバル恒例のお楽しみ抽選では、ラグビージャージが当たってしまった。サイズは、なんと『5L』。サイズもワイルドだぜぇ~。次男「うわ~、デカッ!」。私「何だよ、せっかく当たったのにぃ・・・。いつか、もっと腹に脂肪が付いたら着るっ!」Img_0486

とは言ったものの、5Lサイズが似合う日が来ないことを祈った文月の焼いた一日t-shirt

2012年7月 1日 (日)

祭典in高原

『第11回青森県ラグビーカーニバル』が開かれた。年に1度のラグビーの祭典。「ちびっ子から不惑まで」のスローガン通り、ラグビースクールの幼児や児童、高校生、女子選手、中高年などラグビー選手達はもちろん、ラグビー好き、ラグビー関係者が一堂に会して、ラグビーに感謝し、ラグビーに親しむ一日だった。Img_0440 Img_0447 Img_0465

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私達、青森●高校ラグビー部父母会も毎年出店を続けていた。利益は度外視して、カーニバルに訪れた人々に格安で飲食物を提供することによって、カーニバルの盛り上げに一役買っていた。今年の春から何度となく父母会で打ち合わせ(飲み会)を行い、担当を決めてこの日に臨んでいた。

朝7時50分に現地集合。父兄仲間と協力しながらテントを張り、開店準備。この日は牛丼、焼きソバ、フランクフルトソーセージ、かき氷、ジュース、ホタテ貝焼き・・・。心配された天気も、絶好の快晴。テントの中は焼きソバづくりなどに火を使用するため、暑い&熱い・・・。それでも、高原のグラウンドを吹き抜ける風は、作業する父兄達には心地良いものだった。Img_0441 Img_0442 Img_0452 Img_0453

開会式が済むと、グラウンド2面を使って、いろいろな年代ごとに試合が繰り広げられていた。幸いにも想像を上回る多数の父兄が参加してくれたため、ほぼ計画どおりに販売開始。私以外は、どの父兄も働き者だった(笑)。 Img_0443 Img_0461 Img_0454 Img_0460

昨日は鼻水グシュグシュの私だったけれど、この日は朝から昨日の症状が嘘のように絶好調。晴天の下、ラグビーと関わっていられると思うと、気持ちが晴れ晴れしていた。性格通り、本当にいい加減な身体だった。Img_0456

お陰様で、父兄仲間とワイワイガヤガヤと賑やかにカーニバルを楽しませていただいた。登場人物が多過ぎて、写真のモザイク処理を断念することにした文月の高原の一日sun

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