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2013年3月

2013年3月31日 (日)

見納め

3月も今日が最後。つまり、2012年度が今日で終わるということだった・・・。

実質上は、大学や職場で既に新生活のスタートを切っているラグビー部の仲間達。

私はというと、次男が上京した後も正直なところ、3年間の部活の思い出をまだ引きずっていた。

燃え尽きたのか、燃え尽きていないのか。やりきったのか、やり残したことがあるのか・・・。それさえも分からないままに日々をおくっていた。

けれども、4月もこの状態のままで時間を過ごしているわけにもいかなかった。

いろんな思いをいったんは封印して、自分も2013年度に片足を突っ込もうと思うことにした。

「これもいったん見納めにしよう・・・。みんな、よい人生の旅を・・・」

そうYELLを送りながら、内職して製作したDVD(配布したDVDの再編集版)を繰り返し繰り返し観ている弥生の最後の日clover

2013年3月26日 (火)

仲間って・・・

空気はキリッと冷え込んでいたけれど、巣立ちの朝に相応しい快晴の朝だった。眠れたような、眠れなかったような、不思議な思いのまま、目が覚めた。

新聞に目を通しても、記事の中身が頭に入ってこなかった。次男の上京が1時間後に迫り、見送る立場の私が少しばかり緊張していた。

あーぁ、本当に私の手元から離れてしまうんだなぁ・・・。けれども、父子で選んだ進路だった。意を決して、「よし、そろそろ行くか」と新青森駅に向かうことにした。

駅の待合室には、同じ大学に進んで、共にラグビーを続ける凌(キャプテン)と、凌のママ、凌の弟が私達の到着を待っていた。

私「すみません、お待たせしちゃって。あっ・・・」

そこには部活仲間だった佑気、龍生、雄太の3人の姿もあった。雄太のパパも笑いながら、私達を待っていた。

あらら、わざわざ見送りにきてくれたんだぁ・・・。 Img_1082_2

見送りにきてくれた仲間達も、間もなく津軽を後にする予定だったにも関わらず、貴重な時間を割いて見送りにきてくれていた。みんな、わざわざありがとう・・・。

しばらく歓談していたら、再び「あらっ・・・」

同じ部活仲間の直也と、直也ママ、そして小学校時代からの友達の石沢君も来てくれた。さらに、次男の1学年先輩で、進学先の大学で再び次男の先輩になってくれる永真君のママも駆け付けてくれた。あらら、朝早いのに、わざわざ見送りに来て下さって・・・。見送る人の人数は、私達夫婦も含めて総勢12人にのぼっていた。Img_1085

集まってくれた部活仲間は、今までと何も変わることなく、この日も冗談を言い合っていた。まだ部活が続いているような錯覚を覚えるほど、皆、仲が良かった。

そして、父兄仲間も、我が子のようにいろいろと励ましてくれた。嬉しかった・・・。感謝しきれなかった・・・。

そんな私の思いにお構いなく、発車時刻は刻一刻と迫っていた。改札を抜けて、新幹線が待つホームへと急いだ。Img_1090

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記念写真を撮るやら、万歳するやら、新幹線を追い掛けてホームを走るやら、最後まで気のいい仲間達だった。

その光景を背後から見詰めながら、3年間にわたって、涙と汗と血と泥にまみれ続けてきたラグビー部仲間の絆の強さを改めて感じていた。そして、私自身も素敵な父兄仲間に恵まれたことを心底ありがたいと思った。Img_1099_2

「みなさん、上京するという最後の瞬間まで本当にありがとうございました。幸せな父子でした・・・」と心の中で言い終えるか、言い終えないかの間際に発車を告げるベルが鳴り響いた・・・。

次男と凌を乗せた「はやて24号」のドアが閉まった。そして、次男達2人は、多くの仲間達に見送られて、笑顔のまま津軽を後にした・・・。

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一夜明けて、今朝の津軽は再び雪が少しだけ積もっていた。でも、今朝の私は雪も寒さも無関心だった。Dsc_0009

今朝から首都圏の天気予報を気にするようになっていた弥生の朝snow

2013年3月25日 (月)

巣立ち

新青森発7時34分の東北新幹線はやて24号。みんなに見送られて、次男は笑顔で津軽を発った。一番不安なのは次男のはずだから、できるだけ気丈に見送った弥生の巣立ちの日bullettrain

2013年3月24日 (日)

前夜

誰の発案なのかは分からなかったけど、休日出勤から戻った土曜日に、①長男②長男の奥さん③長男の娘④長女⑤長女の娘⑥長女の息子⑦奥さん⑧次男が我が家に揃っていた。長女の旦那さんは仕事だったらしく、一家全員ではなかったけど、ほぼ全員が揃っていた。

月曜の朝に上京する次男のために、送別会をやるっ!という主旨のようだった。長男の奥さんは、ちらし寿司まで作って持参してくれた。忙しいのに「あざーす」だった。

BG(ベビーギャング団)の食事が済んで、長女の発声で「乾杯~」。ビール好きな長女は、私の遺伝子を間違いなく引き継いでいた。そして、次男も思いっきり飲んでいた(笑)

別れを惜しむより、賑やかな方がいいなぁと思い、内職して製作したDVDを観ながら歓談することにした。それが裏目だった・・・。

次男がラグビーを頑張ってくれたこと。高校を卒業し、大学進学のため、2日後に上京すること。3人の子育てが一段落したこと。そして、家族が送別会をしてくれたこと・・・。

いろんな思いが交差して、ついつい泣けてきた。長女に「泣くな」と叱られた。これ以上、家族に涙は見せられないと思ったけれど、緩んだ涙腺はその後も緩みっぱなしだった。情けなかったけれど、どうしようもなかった。

そして、そこから先は記憶が殆ど薄れていた・・・。

一夜明けて、今日も休日出勤だった。居間に下りると、長女達は泊まったらしく、まだ眠っていた。「昨夜はありがとう」と言う代わりに、静かに眠らせておいた。

そう言えば、昨夜は写真も撮ったはずだよなぁ・・・、と思い、出勤前にカメラを確認してみた。そこには、7歳様、5歳様、2歳様の3人のBGと次男の姿があった。自分で写した記憶がなかった。きっと、私が眠った後に誰かが写したのだろうけれど、私の分も笑っていた。Dsc00906_2

あぁ、こうして遊ぶ機会もなくなるんだろうなぁ・・・と思ったけれど、朝から感傷的になるわけにもいかなかったので、奥さんに「じゃあ行ってくる」と言い残し、休日出勤した。

休日出勤から帰宅したら、もう夕食の支度ができていた。3人で食べる最後の晩餐は、昨日とは打って変わって超~普通だった。これぐらい普通のほうが、かえって私には良かった。感傷的にならずに済むし・・・。

夕食が済むと、ラグビー部の仲間やクラスメイトが次男を訪ねて来てくれた。明日の上京を知っていてくれたのだろう。嬉しいのか、淋しいのか分からないけれど、またグッときた・・・。

今夜はあれこれと考えずに眠ることにしよう(眠れたら・・・)と思う弥生の上京前夜wave

2013年3月22日 (金)

3日前

だいぶ以前にネットで注文していたものが約2週間前に届いた。『2012年度 花園の記録』。Dsc00888

「第92回全国高等学校ラグビーヒットボール大会(花園大会)」の全試合を記録した3枚組のDVDだった。Dsc00891

テレビ放送された映像の大半は録画していたけれど、この大会に出場することを目標に励んできただけに、出場記念の品として予約していた。

3枚組のDVDの中の1枚のレーベルに次男の姿が使われていた。はがい締めにされながら、懸命に後進しようとする場面だった。鮮明に記憶に残っていたシーンの一つだった・・・。

逆転負けを喫した試合だった。高校ラグビー生活最後になった試合だった。そして部活引退を余儀なくされた試合でもあった。

周囲からは「記念になって良かったねぇ」と声を掛けていただいたけれど、次男が映し出されたレーベルを見ると、嬉しさよりも、むしろ最後となってしまった試合への辛さが先立っていた。Dsc00892

高校から大学への過渡期の中で、私だけが次男の高校生活から逃れ切れないでいた。そんな私にお構いなく、月日は着実かつ駆け足で進んでいる弥生の3日前cd

2013年3月20日 (水)

5日前

「春分の日」で祝日だということは分かっていたけれど、春~♫という気分ではなかった。

昨夜までは、「明日は休日出社して、少しでも仕事を片付けよっ」と思っていたにも関わらず、起床したら、その気持ちが少し萎えていた。

ダラダラと午前を過ごし、「午後から出社しよっかなぁ」と適当に考えていた。

昼食を摂り終え、「そろそろ出社するかぁ・・・」と思っていたら、ピンポーン♫

来た。予定通りに来た。宅配便のお姉さんだった。

荷物が届くのを待っていたわけじゃなかった。

荷物を送り出さなきゃいけなかった。

大学進学する次男が合宿所に入るのに先立ち、合宿所に荷物を送付する日になっていた。

高校の卒業式の後、いろいろと買い物に追われていたけれど、その荷物が我が家を旅立つ日だった。

段ボール2箱と、キャリーバッグ1つ、そして布団1セット・・・。Dsc00890

宅配便のお姉さんと奥さんが知り合いだったこともあり、おばさん2人は玄関で話に花が咲いていた。

居間に居た私は、一足先に上京する荷物達に複雑な思いを抱いていた。

そして、宅配便のお姉さんは次男の荷物を運び去った・・・。13b6234c713d8ea4cafbe05ba783d92ed3b

午後から休日出勤する予定だったけど、急にその気がなくなって、夜まで『とんび』の動画全10話を見続けていた弥生の5日前night

2013年3月18日 (月)

7日前

免許を取得したにも関わらず、運転する機会がないのは如何なものかと思い、次男に先日、愛車を運転させてみた。

「いきなりワンボックスは重荷だろうなぁ」とは思った。案の定、「でっか!」と次男。

それでも国道を30分ほど走行してみた。

長男の時も、長女の時もそうだったけれど、免許取りたての子供が運転する隣で、助手席に座るのは足に力に入るものだった。

けれども、次男の時は長男や長女の時ほど足に力が入らなかった。初心者ゆえのフラフラ感はしょうがないにしても、初めてのワンボックスカーをそれなりに運転していた。

まずまず、やるじゃん。毎日、乗ってたら、すぐに上手くなれそうだなぁ・・・。大学が休みに入って帰省した時は、一緒に連れだして運転させてやるかぁ・・・。Dsc_0008

一日一日と上京の日が迫る中で、いろんなことを経験させている弥生の7日前rvcar

2013年3月17日 (日)

覚悟

次男の上京(正確には横浜行き)が1週間後に迫っていた。

大学の授業に必要なモノや部活に必要なモノ、布団、背広・・・。必要最小限とはいえ、揃えるモノは多々存在した。Dsc_0008

荷物が増えることは、準備が整うことを意味していたけれど、心境の複雑さも増していた私だった。

そんな中、次男が美容院で髪をバッサリとカットしてきた。

私「大学ラグビー仕様か?」

次男「うん、まあね」

当然と言えば当然かもしれないけれど、次男は上京する覚悟を決めていた。

それに比べて、自分はというと、次男が上京することを未だ半信半疑のまま、月日だけを送っていた。

少しは次男を見習わなきゃ・・・、と思い直し、アバターの背景だけは入学モードにしてみた弥生の日曜日sun

2013年3月15日 (金)

拘束

次男の部活仲間T君が昨夜、我が家にやってきた。青森市外から通っていた彼は、部活引退後は次男と共に自動車教習所に通い、明日が公安委員会(運転免許センター)の試験だった。

免許センターに近い我が家に白羽の矢の立て、「明日、運転免許の試験を受けるので、泊めてほしい」というものだった。

こんな我が家でもお役に立てるのならと思い、当然のように快諾~♫クラスも同じだったし、3年間にわたって苦楽を分かち合った仲間だったので、彼が来ると聞いてからは何故かウキウキしていた。残業は明日することにして、超特急で帰宅した。

我が家にやってきた彼は、相変わらず礼儀正しかった。ゆっくりと食事をさせてあげたかったけれど、奥さん、母、そして私と立て続けに質問するものだから、次男「ゆっくり食わせれば?」。ごもっともだったけれど、次男の友達は嫌がるそぶりも見せずに丁寧に答えてくれた。

私はいつものように、次男やT君達の試合をビデオ観戦しながら、ついつい飲み過ぎていた。「あの試合は苦しかったよなぁ」「この試合の時は何を考えてた?」などと好き放題聞きながら、部活生活を懐かしんでいた。

彼のタックルと根性があれば、十分に大学ラグビーでもやっていけるのだけれど、進学はせずに、就職する道を選択していた。次男達より一歩も二歩も先に社会人となる身だからこそ、自動車の運転免許は是が非でも取得したいところだった。そのことを思えば、我々からの拘束を解き放って、明日の運転免許試験に備えて勉強させなければならなかった。

けれども、昨夜の私は壊れていた。嬉しさのあまり、飲み過ぎていた。挙げ句の果てに「卒業祝いだ。一緒に飲むぞっ!」とビールを勧めていた。T君が飲んだか、飲まないかは敢えて伏しておくけど・・・。

今朝、出社前に免許センターでT君を降ろした。私「じゃあ、頑張って来いよ。万が一、駄目だったら今日も明日も明後日も泊まっていいから」。T君「いろいろありがとうございました。やるだけやってみますが、駄目だったら、またお願いします」Dsc00873

夕方、次男から「Tが合格した」と聞き、嬉しかった。その反面、「今日は泊まりに来ないのかぁ・・・」と少しガッカリした。

拘束癖がまだ抜けきっていなかった私だったけれど、運転免許を取得しても安全運転を続けてほしいと願いながら、社会人としてのT君の前途を祝した弥生の週末car

2013年3月13日 (水)

回転

土曜日に実家へ母を迎えに行った。次男が今月下旬に上京してしまうため、今のうちに会っておいてもらいたいという思いで連れてきた。母もそのことは承知の上で、喜んで来てくれた。

当然のように、次男の試合のビデオを観ながら高校時代の部活の思い出、大学進学後の話題が連日続いていた。母は、部活の話を楽しそうに連日聞いていた。孫が泥と汗にまみれて過ごした3年間を飽きることなく聞いていた。

田舎暮らしの母だったので、「たまには寿司屋にでも連れて行くかぁ」と思い、近所の寿司屋さんに行った。私が連れて行ける寿司屋というば、回転するに決まっていたけど、文句も言わず満足そうに食べてくれた。裕福な育ちの母じゃなくて良かったぁ(笑)Dsc_0009

連日、ラグビーの話題ばかりを続けるものだから、「もう飽きただろうなぁ・・・。今夜は部活の話題は止めとくかぁ・・・」と思っていたけれど、やっぱり今夜も母はビデオの中で次男の姿を追っていた。その横で、今夜も私は「この試合はこうだった」「あの試合は苦しかった」とビールを片手に解説していた。

「もうすぐ次男と会えなくなるし、我が家にいる間は母にラグビー漬けの日々を送らせるのも悪くはないかぁ・・・」と思いながら、母の喜ぶ顔に比例してビールがはかどって、頭の中も少し回転しはじめていた弥生の夜night

2013年3月11日 (月)

鎮魂

戦後最悪とされる災害からちょうど2年・・・。あの日と同じように、津軽は今日も吹雪だった・・・。

1年前のこの日は、被災地・八戸で震災のフォーラムに参加していた。今年も同種のシンポジウムやフォーラムがあるのは知っていけれど、今日は行くのをやめた。

いろいろ多忙を極めていたことと、空っぽの頭なりに少し思うところがあって、今日は心の中で鎮魂を捧げることにした。

市内を走行している時に、忘れもしない『14時46分』のその時を迎えた。カーラジオから、「まもなく午後2時46分です」という声がした。

ちょうど信号待ちだったので、ハンドルから手を離して黙祷した。

停電の中で、毛布に包まって寒さを凌いだあの日・・・。ロウソクの灯だけが頼りだったあの夜・・・。カップ麺があっても、お湯さえ沸かせなかった翌日・・・。Dscf0265_21               2年前の「3.11」の夜の我が家

ようやく電気が回復したかと思えば、我が目を疑うような惨事が繰り返し繰り返し映し出された数日間。すべてが、つい数日前のことのように思い起こされていた。

突然、後からブッ!とクラクションを鳴らされた。黙祷をしていう間に、信号が青に変わっていた・・・。慌てて車を発進させたけれど、数十メートル先のコンビニに寄って、再び不足分の黙祷をした「3.11」の午後watch

2013年3月 8日 (金)

YELL

いったんは卒業式に間に合わせたはずの内職が、少し残っていた。

内職とは言っても、私にできる内職など限られていた。

できることは、今まで撮り貯めた試合のビデオを編集して、卒業記念として差し上げることぐらいだった。

2月初旬に始めた製作作業だったけれど、動画の編集過程で何度も試合に見入ってしまう毎日が続き、一向に捗らない日々だった。

加えて、何十試合分もの動画を短く編集することは至難だった。

どのシーンにも思い出があり、一つ一つのプレー再びに一喜一憂するものだから、製作が捗らないのも無理はなかった。

なんとか製作したものの、動画は1本あたり80分にも及んだ。

DVDにするには無理があった・・・。

再びやり直して、今度は動画を静止画にして編集し、1本あたり25分にまとめた。

BGMを被せて、タイトルをつけ、ようやく出来上がった。

そうして、先日の謝恩会で上映させていただいた。

出来栄えはイマイチだけど、「思い出になればいいな」と思い、全部員と謝恩会に出席してくれた先生がたにも配布させていただいた。

最後、最後といいながら、今回が本当に『TSUTAYA又左衛門店』の最後の悪あがきだった。Dsc00886

そして、明日の朝は次男の親友2人が都内の大学に進学するため、青森を発つことになっていた。

どうか、大学でも津軽人の誇りを胸に頑張ってほしいと陰ながらYELLを送っている弥生の夜cd

2013年3月 4日 (月)

see you again

金曜日に行なわれた卒業式や引退試合の余韻に浸る間もなく、土曜日から1泊2日で福島へ出張に行った。1年ぶりの福島だったことや、地域経済活性化のため、ゆっくりと福島を堪能したかったけれど、日曜日に大事な予定が入っていたのと、私の懐具合では地域経済に貢献できないので、日曜日の早朝に福島を発って帰青した。

大事な用事とは、次男達ラグビー部員の謝恩会だった。内職に追われながらも、一部の父兄仲間と虎視眈々と企画立案していた。卒業する部員17人のうち、進学する大学の都合で一人だけ出席できなかっのは残念だったけれど、残る部員16人、先生方、父兄の総勢41人が出席して下さった。

開会に先立って、全員で記念撮影することを提案した。苦楽を共にした青森北高校ラグビー部関係者の最後の勢揃いだと思うと、記念撮影しないわけにはいかなかった。Dsc00635_2

監督さんとOB会会長さんにだけご挨拶を頂いて、すぐに歓談することにした。もう会えないかもしれないと思うと、固い挨拶が続くよりも、歓談する時間を少しでも多くしたほうがいいと思ったからだった。Dsc00683

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部活動から退き、私服をまとった生徒達は、みなスッキリとした若者達に変貌していた。泥んこにまみれていた、ホコリっぽい部員時代からは明らかに変貌を遂げていた。カッコイイ~♫Dsc00837

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監督さんのリクエストで、一人ひとりコメントを述べることになった。ラグビー部時代の苦労を語る者、進学先の抱負を述べる者、就職先をキッチリPRする者、それぞれに立派だった。Dsc00704

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宴の途中で、私が撮影したビデオを編集したスライド写真を上映することにした。この日の主旨は歓談することだったけれど、「みんなで3年間を振り返りながら、少しでも懐かしんでくれればいいなぁ・・・」という私の勝手な発想で、上映させていただいた。

出来栄えは今一つだけど、ちょっとした座興にはなったみたいだった。ホッ・・・。

歓談は尽きることがなかった。予定時刻をオーバーしているのは知っていても、生徒達の笑顔を見続けていたかった。この日、私が撮影した写真は273枚にのぼっていた。

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閉会の時を迎えても、名残惜しさは続いていた。生徒達は、「全員でボーリングに行くぞー」という話で盛り上がっていた。楕円球から、重いボールに持ち替えるらしい。パスだけはしないでほしかった・・・。Dsc00847

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滞りなく謝恩会が閉会した。ラグビー部員達との3年間の付き合いが大きな節目を迎えた瞬間でもあった。壮大なことは望まなけれど、みんな健康で、元気よく、生きて、生きて、生き抜いてもらいたいなぁ・・・と切に願って会場を後にした。

昨日の賑わいから一夜明けた今日の津軽は久々の快晴だった。再会を願いつつ、273枚の写真を微笑ましく見ていた弥生の一夜明けた夜camera

2013年3月 1日 (金)

門出・・・

厳冬に相応しかった如月から一転、降り続いた雪は止み、寒さも和らいだ弥生1日。次男が通う高校で卒業式典が挙行された。涙腺が弱いことを自覚しているので、数日前から「泣くまいっ!」「泣くもんかっ!」「泣くはずないっ!」と自己暗示をかけて臨んだっ!Dsc00414

卒業式までの日数を指折り数えつつ、「まだ高校生でいさせてやりたい・・・」と思っていたけれど、あっという間にその日を迎えてしまっていた。というよりは、「まだ、高校生のままでいてほしい・・・。もっと、みんなで部活続けてもらいたい・・・」という妄想にも近い願望を捨てきれないでいた私だった・・・。

卒業式は、厳粛な中にも爽やかに執り行われた。次男だけに限らず、ラグビー部仲間が堂々と入場する姿に惚れ惚れした。次男と直也の二人は名前を呼ばれた時に、最も大きな声で「はいっ!」と返事をしていたのが印象的だった。そして、嬉しかった(笑)。

次男達のクラスは、退場時に恩師を何度も胴上げするというサプライズまで演じていた。笑えたけれど、それがまた泣けた・・・。Dsc00419

卒業式の後には、ラグビー部恒例の引退試合が待っていた。次男達3年生にとっては、高校ラグビー生活最後の円陣が組まれた。見慣れた光景だったけど、見るのがちょっと切なかった・・・。Dsc00446_2

そして卒業生対2年生、卒業生対1年生、卒業生対1・2年生・・・。引退を、そして卒業を惜しむかのように、次男達3年生は繰り返し繰り返し身体をぶつけ合った。 高校ラグビー生活最後の試合は、楽しく、愉快で、そして最も淋しい試合でもあった・・・。Dsc00472_2

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「相変わらず、凄い突進力だなぁ~」「もう、あいつのステップを見られないのかぁ・・・」「この時間がズーと続いてくれたらなぁ・・・」

雪上での引退試合を見詰めながら、私はいろんなことを思い返していた。ケガをして苦しんだ生徒・・・。いつも元気に返事を返してくれた生徒・・・。口数は少なくても、プレーで存在感を示した生徒・・・。選手達のために、自分を犠牲にして働き続けてくれたマネージャー・・・。みんな、最高の仲間だった・・・。Dsc00435

引退試合が済むと、卒業生達が父兄の前に整列し、「今までありがとうございました」「ケガばかりしてすみません」などと感謝の言葉を一人ずつ順に語り出した。また、涙が出そうになった・・・。でも、何とか堪えた。Dsc00540

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監督さんが、「父兄側からも、どなたか代表でお願いします」。一歩後ずさりしたけれど、周囲の父兄仲間に促されて、何故か私が言うはめになっちゃった・・・。

立派に高校を卒業した息子達3年生に、掛ける言葉など思いつかなかった。それ以上に、部員の顔を一人ひとり見ているだけで、私は胸がいっぱいだった。

この3年間は、生徒達の頑張りのお陰で、心に張りを持って生きてこられた私だった。勝った時の喜びも、負けた時の悔しさも、ラグビー部員と喜怒哀楽を共有させてもらった3年間だったから、ただただ感謝の念しかなかった。

言葉に詰まり、両側の目尻から熱いものがスーと流れそうだったので、顔を動かさないようにしながら、私なりに3年間の感謝の意を素直に言ったつもりだった。

校舎内に戻ると、別れの瞬間がやってきた。下級生から花束を贈られた次男達は照れくさそうでもあり、嬉しそうでもあった。Dsc00546

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私はグッとこみ上げるものを気付かれないように、ズーと仲間達の顔を見つめ続けていた。そして、張り裂けそうな胸中を悟られないように、カメラのシャッターを切り続けていた・・・。Dsc00567

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「3年間お疲れさん、そしてありがとう・・・。最高の仲間達だった・・・」。誰にも聞こえないよう、そっとつぶやいた弥生の門出の日school

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